柊木董馬

2014年8月30日 (土)

第91話:【花火が消えた夜】~その5

★第90話はコチラ

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誰かの、あッ! と叫ぶ声が聞こえました。見ると、同じ駐車場の片隅に車座になって座り込んでいる若者たちがいます。声は、その中から聞こえました。一人の少女が輪から飛び出して、私と史佳がいる方に向けて指をさしています。

その少女は、愛実でした。史佳の友人の女の子です。私は面識がなかったのですが、史佳が、自分の友だちだ、と教えてくれました。そう言う、史佳の声は落ち着いていました。愛実の手には、かき氷を盛ったカップがありました。氷は、黄色く光っています。きっとレモン味なのでしょう。買ったばかりなのか、氷はまだ山なりの形を描いていました。

「いこ、センセ」
史佳は、立ち上がりました。そして近づいてくる愛実に対して、会釈をしていた私の前を横切って、歩行者天国になっている大通りの方へ、スタスタと歩いていきました。まるで、キャッチセールスを無視してすすむ、都会の人のような歩き方でした。

私は、あわてて立ち上がり、ぽかん、としている愛実に対して、ペコペコと頭を下げ、史佳の後を追いかけました。途中、車座の連中から、強い視線を浴びているのを感じて、チラとそちらの方へ目を配りました。その一座は、高校生くらいの年代の男女で構成されていました。きっと愛実と友人たちなのでしょう。髪の毛を茶色く染めている少年もいれば、すでに年増女と見間違うほどの厚化粧を施した少女もいました。ひょっとしら、実際に「少女」と呼べる年齢ではないのかもしれませんが、私には、そんなことはどうでもよかったのです。一人、煙草をふかしている少年も座の中にいました。やはり、どうでもよいことです。そのときの私には、愛実も、車座の少年少女も、興味の対象にはなりませんでした。

駐車場のスペースを出てすぐに、史佳を見つけました。彼女は、右へ左へと行き来する人波に飲み込まれないように、閉店している商業ビルのショーウィンドウガラスにもたれて立っていました。せっかく綺麗に結んでいるであろう帯が、ガラスにかけた重みでつぶれていないか心配になりました。

私が近づくと、
「まさか、愛実に会うなんて思いもしなかった」
と史佳が言いました。
「なんか逃げ出したみたいだね。会いたくなかった…とか?」
私が訊ねると、史佳は私の目をじッと見ました。色白のせいか薄闇の中でも、史佳の顔は、白熱灯に照らされたように、仄白く光っています。

うすく紅をひいた、くちびるが、含み笑いのような口角になり、
愛 実 を 登 場 さ せ た の は、柊木先生、自身でしょう。今ここに愛実という邪魔者が出現すれば、奥さんの話を途中で中断できる。それが、先生の作戦だった…」

「作戦?」私は小首をかしげました。史佳が言っている意味がよく分かりませんでした。
「僕は、別にふみかちゃんの友だちを、今日、呼び出したりはしていないよ。…というか、さっきの子、ええと…愛実ちゃんだっけ? 彼女とは面識もないんだから…」

言うと、史佳がクククと笑いました。小鳥のさえずりのような笑い声です。笑いながら、肩が細かく震えています。ますます意味が分かりません。

「何をとぼけているんですか」
醒めた声です。
「とぼける? 僕が?」
私は、困った顔をしてみせました。顔が引き攣っているのが自分でも分かります。
「先生、いいかげんにしてください。これは先生が書いている物語です。先生の好きなようにストーリーをねじ曲げられるのは、至極当然じゃないですか」
「物語って?」
「今、です」
「は?」
「今日こうして、アタシと花火大会に訪れることになった、その事実です。これって、先生が望んだのでしょう?」
私は首を振りました。否定のポーズです。史佳は間違っている、と思いました。今夜の花火大会は、史佳が私を誘ったことで生じたイベントです。けっして私の方から誘ったわけではありません。
「よく分からないけど…今日は、さえちゃんが来られなくなったから、二人きりになったわけで…本当は、ふみかちゃんと二人きりで来る予定ではなかった。そのことは理解しているだろう?」
私は、諭すように言いました。史佳は、私の目を見つめました。どこからか、香ばしいにおいが漂ってきました。これは焼きトウモロコシのにおいだな、と私は気づきました。そういえば、いつもであれば、もうとっくに夕食の時間です。空腹を覚える時間帯です。でも、不思議と、そんなにお腹は減っていないようです。ただ喉が渇いていました。

「柊木先生、電話かけてみて下さい」
と史佳が言いました。
「え、電話?」
「そうです」
「誰にかけるの?」
「沙絵先輩です」
「さえちゃんは…今、仕事中だから電話に出られないと思うよ」
「そうでしょうね。沙絵先輩は電話に出られない。だけど、出られない理由は『仕事』なんかじゃありません。沙絵先輩はいないんです」
「いない?」
「はい。現実の世界にはいない。だから電話をかけても出られない、ということです」

史佳は、ガラスを背にゆっくりと私に近づいてきました。私は深いため息をつき、言いました。
「ふみかちゃん…ごめん。よく分からないんだ。ふみかちゃんが今、僕に言ってることが、僕にはヨクワカラナインダ…」

史佳が言いました。
「先生、リュックサック…忘れていないですか? 駐車場に」
私は、あッ! と叫びました。途端に、背中に圧迫感がないことに気づきました。なんてことでしょう! さっき駐車場の縁石に腰をおろしたとき、リュックサックもついでに肩からおろしていたのです!

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!

そのとき史佳が急に笑い出しました。周囲にいた歩行者たちが、驚いて史佳を見たのが分かりました。私も、拡声器から飛び出したような史佳の大笑に驚き、思わず後ずさりました。

史佳は笑いながら、その場を走り出しました。あっという間の出来事でした。浴衣を着ている身とは思えない素早さでした。信じられません。
史佳は、ビルの角を曲がりました。曲がった先には、さっき私たちがいた駐車場があります。私は、後を追いました。

見ると、駐車場のど真ん中に史佳がいました。彼女の手にはいつの間にか骨壺がありました。妻の遺灰と遺骨が入った、骨壺です。

 

 

史佳が、壺を高々と頭上にかかげました。

壺に外灯の光があたりました。いや月光の反射かもしれません。

 

ぶっ壊れてしまえ。

 

史佳の目に涙。

 

 

 

 

「やめろー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史佳の足元に、潮がひいたあとの砂浜のような景色が浮かびました。

それは、まぎれまない「」でした。

ただの「」でした。

砂の中に、白い固形物がいくつも見えました。

それは貝殻です。

私が拾った貝殻です。

私が拾った、ただの「貝殻」です。

 

 

 

 

どこに奥さんがいるんだよ。バーカ

そう言って、史佳はわんわんと泣き始めたのです。

 

(第92話へ続く)

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2014年8月21日 (木)

第90話:【花火が消えた夜】~その4

★第89話はコチラ

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史佳が放った言葉は、私に向けたものではないと思いました。よく聞き取れなかったのです。周囲は、乗降客…特に花火見物に出かける人たちでごった返していました。色とりどりの浴衣や、甚平姿。そして、中学生か高校生の集団が、明らかにいつもとはちがう高いテンションを維持したまま改札口へと向かっています。家族連れから生み出された喧噪。若々しいカップルから生み出された喧噪。とにかく色々な音と、色々なにおいが混ざったプラットフォームは、春になり発芽した種子のように、あちらこちらで騒がしさの火種が生み出されていました。

その中で、なんの前触れもなく、いきなり「好きです」などと言われて、誰がまともに耳を貸すでしょうか。きっと誰もが、あのときの私と同じように「え?」と聞き返すでしょう。大事な話ほど、聞こえづらいものです。人生にはよくあります。

「アタシは、まだ15歳だから、大人を好きになっちゃいけないの?」
と、史佳が尋ねてきたのは、駅の改札を出て、駅前のロータリーをぐるっと回り、今夜の祭りのために歩行者天国になっている大通りの入口付近にたどり着いたときでした。
「え?」
私は、ふたたび聞き返しました。ですが、今度は空耳なんかじゃありません。喧噪を押し退けて、ハッキリとした史佳の声が耳に届いていました。
「そんな…ことは、ない…かな」
私は、曖昧に回答をしました。
「恋愛に、年齢差は関係無いよ」
私は続けました。さも納得したように、自分でもうなずいて見せます。史佳は私の手を握ったままでした。絡まった指のあいだが、じんわりと湿っていました。手汗をかいているのです。指のあいだに溜まった汗が、皮膚と皮膚を粘着させているような気がしました。このまま無造作に離れようと考えたら、糊でくっつけたようになった私の指と史佳の指が、離されまいと反乱を起こしてしまうような錯覚を覚えました。

「年齢差は関係無い…だけど、いくらかの制限は生まれる
これは史佳の言葉です。私は、たしかに、とひとり納得しました。
人は、恋愛をするときに、幾多の障害を感じます。障害のない恋愛は、成就しないのではないか、とさえ思います。「障害」があり、その障害を「乗り越える」という、通過儀礼的な体験をすることが必要なのです。その「障害」を、史佳は「制限」と言い換えました。

「制限」と一様に述べても、数えれば、星の数ほどの種類が存在します。それは、倫理の世界ではタブーとされている「近親相姦」もあれば、学生と社会人、大人と未成年など、一般に愛を育む共同作業が、スムーズにいけないケースです。多様な「制限」によって、これまた多くの人が、その愛を消失させています。
ですが、待ち構えている「制限」を看破することで、いっそう愛という名の結束が固まる…これも否定できない事実なのです。

私は、足を止めました。途端に左右の人だかりが、スーッと前へ流れてゆきます。私が止まっても周囲の人たちは歩き続けています。歩くのをやめれば、取り残されます。これは当然の理です。
私は、どこかに定位置を設けて、そこに腰をおろし、花火を鑑賞しよう、と史佳に提案しました。史佳は、コクンとうなずきます。
「お腹、減ってない?」
私は聞きます。
「ううん、ヘーキ」
史佳は、首を軽く横に振って答えました。
それから数分間、歩行者天国となった大通りを、史佳と手を繋いでウロウロとしました。そして、とあるビルとビルのあいだにある駐車場を見つけました。そこから、視線を斜め上方に向ければ、そこからちょうど花火が上がるはずの空の一角が見えるのです。その駐車場には、すでに何人かの見物客が腰をおろしていました。

「ここにしよう」と史佳が私に言いました。私は、またもや曖昧にうなずき、先を行く史佳のあとを付いて行きました。と、史佳は、駐車場の車輪止めに使われている縁石の上に、腰をおろそうとしました。下に何も敷いていないので、このまま座れば、せっかくの浴衣が汚れてしまいます。
「汚れるよ」
私は言い、背負ったリュックサックの中から、アウトドア用のビニールシートを取り出そうと、身をよじりました。
「気にしない」
私が、あッ! と声を出すのと同時に、史佳が縁石の上にお尻を乗せました。史佳は、曲げた両膝を器用に横に倒し、まるで、しな、を作ったような姿勢になりました。
「大胆だね」
「変な感想」
史佳が私を見上げて笑いました。

私も、史佳の隣に座りました。当然、尻の下には何も敷いていません。短パンの表面がザラついた感触を覚え、少しだけひんやりとしました。
「ここは、私有地だよ」
私が言うと、史佳は「今日は花火だからいいんじゃない?」と、なぜかホッとしたような表情を見せて言いました。やはり花火を見る位置が確定したので、安心した部分があるのでしょうか。

私は、リュックサックからペットボトルのジュースを二本取り出し、一本を史佳に与えました。さっき駅から、ここへ来る途中で買ったジュースです。まだ冷えています。飲むと、喉が気持ちよかったです。
唐突に、史佳が言いました。
「先生の恋愛も制限あるよね」
私は、
「どうだろう」と答えました。史佳は、何をしゃべってくるのか、大人の私でも予想がつきません。私は、沈黙のまま、史佳の言葉を待ちました。

「先生の場合は、『この世』と『あの世』…って感じかな」
「えッ?」
「もっと単純に言えば、『生』と『死』みたいな」
「それはどういう意味?」
私は尋ねました。史佳の横顔は外灯の淡い光に照らされ、仄白く光っていました。
「先生は、死んだ奥さんと恋愛してるんでしょう? 死んだ人と、生きてる人の恋愛なんて、他のどんな制限も敵わないよ。太刀打ちできない」

「もうね、死んだ人を追っかけるのはやめた方がいいと、思うよ」
史佳の声は落ち着いていました。
「先生…もう先生の『今』の恋愛は終わりにしましょう。先生と恋愛している人は、この世には戻ってこないんですから」

私は黙っていました。史佳が言います。
いない人を、いるように書いていても、何も得られないんですよ

私は、ハッとして、史佳の瞳を凝視しました。

 

 

 

「先生の奥さん… 沙 絵 さ ん は、もういないんです。もう終わりにしましょう」

 

史佳の声は冷ややかでした。
私の指先がひりひりと痛みました。それは、さっきまで史佳と繋がっていた指先でした。

 

(第91話はコチラ)

 

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2014年8月13日 (水)

第89話:【花火が消えた夜】~その3

★第88話はコチラ

僕が今から書き記す内容は、日々の戯れ言を綴る日記でもないし、ましてや、通俗的な大衆小説でもない。すべてが、この日 ―― そう。僕の人生において、きっと消え失せることなく、強烈な記憶の断片として残るであろう、あの、2013年7月26日。その当日に起こったあらゆる不条理とも思える出来事を、克明に記した、いわば「記録」である。

もし、この「記録」が、親愛なる僕の読者様の元に向けて、発信されたとき ―― すなわち、それは、もう その事実を語る時が訪れたのだと、僕が己の、内なる呼びかけに応えた、証拠である。

読者の皆様は、どうか開眼して、この「記録」を読んで欲しい。
今から記すことが、真実なのである。限りなく純真で、汚れのない、私たちの関係なのである。

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**********

私の名は、柊木董馬(ひいらぎとうま)と申します。
主に、作家業、文筆業で生計を立てていますが、居住地である静岡県御殿場市で、塾講師のアルバイト、及び、家庭教師のアルバイトもやっています。
以前は、塾の講師が、本業だったのですが、数年前に職場での折り合いが悪くなり、自己都合で退職をしました。(※このことについては、また後ほど詳しく書かせてもらいます)

私は、妻がいました。いました、と書くということは、つまり…それはすでに過去の話だからです。
妻は、他界しました。事故でした。
「死」とは、実にあっけないものです。一分、二分、三分、とじわじわとつぼみを開いていった桜の花が、十分咲きになった途端に、みるみると萎んでいき、やがて気付かぬうちに散ってしまうように、実に、さらっ、としています。「美しいものほど、はかない」とは、よく言ったものです。私の妻も、どの花にも負けず劣らずに、美しく、華やかな存在でした。

話を、現在(いま)に戻します。

すでに、この 私 が 描 い て い る 作 品ひりひりする恋」を、前回の第88話までお読み頂いた読者様のペースに合わせて、今からお話をさせて頂きます。もし、まだ未読の方が、この回(第89話)に目を通しているのであれば、申し訳ないですが、過去の「ひりひりする恋」を、ある程度通読なさってから、これから先の文章を読まれた方が良いのかな、と思います。無論、強制ではありませんのであしからず。

**********

史佳に手を握られたとき、私の心には喜びが去来しました。
それは、手を握ることによって、私という人間を史佳が認めてくれているのだ、と思ったからです。たとえば、生理的に受け付けられない他者とは、誰も「手を握りたい」などとは思わないはずです。どこかで気を許している、安心している部分があるから、身体と身体を触れあわせることができるのだと思います。

このような触れあいの可能・不可能は、もっと性的なもの…たとえばセックスにも大きく作用しています。通常、セックスにおいてお互いが、精神的、肉体的に満足を得るためには、両者の合意が必要です。「合意」とは、ある種の信用と安心感から成り立っています。身を委ねることに対して不安がある場合は、いかなる性戯であれも、その者の性分を十分に満たせるような快感は得られません。

男女の…いや、人と人との触れあいは、合意ありき、なのです。
たとえ、その合意の意思が、表面上のものではなくて、潜在的なものであっても、行為のすべてに安心と信用があるからこそ、相互の人間関係は進展していくのです。

史佳の手は、うっすらと湿っていました。きっと手汗をかいていたのでしょう。私は、生まれつきの乾燥肌なのです。それが効を喫しているのかは分かりませんが、長時間、手を握っていても、汗ばむことはほとんどありません。

史佳が、握っていた手を、突然、離しました。
「うわ、チョー汗ばんでる。めっちゃ恥ずかしい」
と、史佳が言いました。電車はもう動き出しています。御殿場駅は、とっくの昔に見えなくなっています。
「肌と肌が、触れ合ってるのだから、汗をかくのはしょうがないよ」
私が、そう言って、空いている席に腰をおろそうとしたら、
「座らないで、立とうよ」
と史佳が言いました。そうか、浴衣だからか、と思い、私がそのことを伝えると、
「ううん。違うんです。私、電車は立ったまま乗っているのが好きなんです」
「ふぅん。どうして?」
「…なんか、運ばれてる、て感じになるんです。身体が」
「まぁ、たしかに運ばれているね」
私が言うと、史佳は、
「そうなんですけど、たぶんアタシが思っている『運ばれている』と、先生の『運ばれている』は、ちょっと違うのかな、と思う」
と言って、車窓に映る夜の景色を見つめていました。

私は、史佳の言いたいことが、あまり理解できませんでした。ふと、思いついて、史佳の手を、私はふたたび握ってみました。
突然、手を握られて驚いたのか、史佳は身体をビクッと一瞬、こわばらせて、私を見ました。
史佳の手のひらは、すでに渇いていました。細くて白い指先は、まるで剥きたての白身魚のようです。史佳の爪には、うっすらとマニキュアが塗られていました。

私は、史佳の手のひらが汗ばむのを待ちました。汗ばむまで手は離さないつもりです。触れあった肌と肌。その肌の隙間から放出された熱を浴び、お互いの体温が上昇し、汗ばむことは、繋がりを象徴するもの。

私は、誰かと「繋がり」を感じていたいのです。
史佳にはその資格があると思いました。他の誰でもない、この綾野史佳にこそ、私に生きる希望を与えてくれる存在だと、そう思っていたのです。

史佳は、車内を一瞥する視線を送りました。まるでなにかを観察するようです。警戒めいた動作をしたあとに、史佳が言いました。
「先生、その背中に背負ったもの…重 い で す か

私は、思わず握っていた手を離してしまいました。自分でも動揺しているのが分かります。
「そうだね…重い、かな」
私は、慎重に答えました。
そのときの、私の背には、、“いつも通りに”骨壺が入ったリュックサックがありました。
亡くなった妻の分身ともいえる、骨壺です。特に理由がない限りは、いつも肌身離さずに携行するようにしています。
史佳は、当然のように、そんな私の奇行を承知したうえで、今日の花火大会に誘ってくれているはずです。

「奥さんにも、花火を見せたいんだ?」
史佳が聞いてきました。
「そう…だね」
私は答えます。
「でもさぁ、先生」
史佳は、白魚のような指先でリュックの表面を、ツーと撫でました。そして言いました。
「もう無理だと思うよ。だって…奥さんはもう生きていないんだよ。この世にいない人に、花火が見えるわけないじゃん。無理だよ」

私は、なにも答えませんでした。史佳の言う通りだったからです。そうです。妻はもう、この世にはいません。花火なんか見えるはずがありません。「見える」と思うのは、生存者の希望に過ぎないのです。

アタシ、先生のこと好きかも

電車が駅に着きました。ドアが開いた途端に、降りようとする乗客に背中を押されて、私はよろめいたのです。ふらついた私の身体を、史佳が、脇から支えていました。

 

(第90話へ続く)

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2014年7月26日 (土)

第88話:【花火が消えた夜】~その2

★第87話はコチラ

僕が今から書き記す内容は、日々の戯れ言を綴る日記でもないし、ましてや、通俗的な大衆小説でもない。すべてが、この日 ―― そう。僕の人生において、きっと消え失せることなく、強烈な記憶の断片として残るであろう、あの、2013年7月26日。その当日に起こったあらゆる不条理とも思える出来事を、克明に記した、いわば「記録」である。

もし、この「記録」が、親愛なる僕の読者様の元に向けて、発信されたとき ―― すなわち、それは、もう その事実を語る時が訪れたのだと、僕が己の、内なる呼びかけに応えた、証拠である。

読者の皆様は、どうか開眼して、この「記録」を読んで欲しい。
今から記すことが、真実なのである。限りなく純真で、汚れのない、私たちの関係なのである。

1024768


**********

私の名は、柊木董馬(ひいらぎとうま)と申します。
主に、作家業、文筆業で生計を立てていますが、居住地である静岡県御殿場市で、塾講師のアルバイト、及び、家庭教師のアルバイトもやっています。
以前は、塾の講師が、本業だったのですが、数年前に職場での折り合いが悪くなり、自己都合で退職をしました。(※このことについては、また後ほど詳しく書かせてもらいます)

私は、妻がいました。いました、と書くということは、つまり…それはすでに過去の話だからです。
妻は、他界しました。事故でした。
「死」とは、実にあっけないものです。一分、二分、三分、とじわじわとつぼみを開いていった桜の花が、十分咲きになった途端に、みるみると萎んでいき、やがて気付かぬうちに散ってしまうように、実に、さらっ、としています。「美しいものほど、はかない」とは、よく言ったものです。私の妻も、どの花にも負けず劣らずに、美しく、華やかな存在でした。

話を、現在(いま)に戻します。

すでに、この 私 が 描 い て い る 作 品ひりひりする恋」を、前回の第87話までお読み頂いた読者様のペースに合わせて、今からお話をさせて頂きます。もし、まだ未読の方が、この回(第88話)に目を通しているのであれば、申し訳ないですが、過去の「ひりひりする恋」を、ある程度通読なさってから、これから先の文章を読まれた方が良いのかな、と思います。無論、強制ではありませんのであしからず。

**********

 

そして私と史佳は、共に御殿場駅から下りの電車に乗り、花火大会が行われている街へと向かいました。このとき、私と史佳の間柄というか関係性については、端から見たらどのように映っていたのでしょうか。
お互いが御殿場市に居住しているということもあって、駅ももちろんのこと、電車内であっても、それぞれの知り合いにバッタリと出会う…ということも確率としては、かなり高いはずです。私は、居酒屋に行ってアルコール類を注文しても、間違いなく年齢確認はされない外見をしています。どこからどう見ても、成人男子…いや、史佳の年代を物差しにして考えると、明らかにオジサンです。最近、顔に小皺が増えてきた気がしています。歳のせいでしょうか。

史佳は、というと、今日はほんのりと薄化粧をしているようにも見えました。いや、しているのでしょう。普段は化粧っ気もなく、雪のように真っ白な素肌と、若々しさが残る透けるような産毛が目につくのですが、今宵の史佳は、そんな初々しさな一面を、陰に隠すように、くちびるに軽く紅をひいていました。
目元を観察すると、そこは何も施してはなさそうでした。元々、大きな瞳と、長い睫毛が、印象的な女の子です。目元はイジる必要がないのだと、自分でも自覚しているのかもしれません。
それでも、真っ白な肌に、化粧を重ねることで、いつもより血色が良く、健康体をことさら強調しているようで、見ている方も新鮮な気分になれます。

史佳の浴衣は、シンプルな白を基調として、やや落ち着いた雰囲気を醸しだしていました。えんじ色の帯が、腰元に凛々しさを付け加えているようにも思えます。
彼女がカラコロと下駄を転がすたびに、トレードマークともいえる短い黒髪が、小刻みに揺れます。

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浴衣とは不思議なもので、男性の場合はどうかは分かりませんが、女性の場合は、後ろ姿が、とても大人っぽく見えてしまいます。
これは年増に見える、という意味ではなく、もっと腰の据わった、いくらかの夜の芳香を漂わす、艶やかな感じを見受けてしまうのです。
今まで「女」という性を感じなかった対象に、急激に「女」を意識してしまう…果たしてそれが、世の中のすべての男性の身に起こる生理的な現象なのか、というと、さすがにそこまでは言い切ることはできませんが、同様の趣の意を持つ感情(…ここでは説明はしませんが)を宿してしまう可能性があるのでは、と思います。

そんな私も、プラットフォームに向かう階段を慎重におりてゆく、史佳の後ろ姿に、少女を超越した美しさと、可憐さを感じ入ってしまったことを、ここで告白しないわけにはいきません。

さらに、このとき私は、史佳の浴衣姿を見ながら、亡くなった妻の浴衣を着た姿を一目でも見たかった、という想いに駆られたのです。
妻は、夏を待たずにこの世を去りました。私は、私の妻が、「私の妻」として、夏を迎えるときを心待ちにしていました。
人の一生というのは、線で引っ張れば、たった一本の線です。しかし、その線には、無数の季節で細分化されています。

一年、一緒に過ごせば、春夏秋冬、四つの季節を共に見ます。
五年、一緒に過ごせば、二十の季節を共に見ます。
十年であれば、四十です。
四十回も、愛する者の衣替えを見ることができるなんて、なんて幸せなことなのでしょう。これを「幸せ」といわずに、何というのでしょうか。

プラットフォームには、史佳と同じように浴衣を着た人がチラホラといました。史佳と同じ高校生くらいの年代の人も何人かいます。私は、ホッと胸を撫で下ろしました。おそらく、このなかに混ざっていれば、私と史佳の不釣り合いな年齢差の組み合わせも、そんなに浮いては見えないでしょう。よく見ると、家族連れもいます。父と娘、兄妹らしき組み合わせもあります。そんな中に、私と史佳は完全に溶け込み、馴染んでしまったように思えます。

「先生、首に虫が…」
史佳が、眉間に皺を寄せて、自分の後ろ髪のあたりを手でパッパッと払うしぐさをしました。
「むし?」
私は、史佳の背後を覗き込むようにして、浴衣の襟首あたりを見ました。
見ると、たしかに史佳の後頭部の周辺を、小さな羽虫がぷぅん、と飛び交っています。
「あぁ、いる。蛾だね」
私は冷静に言います。
「先生、振り払って」
史佳は、虫が嫌いなのか、ちょっと涙声になって、首を左右に激しく振りました。私は、史佳の後頭部を、手のひらで、うちわのように仰ぎました。こんな退治方法で、蛾が去るとは思えませんでしたが、気休めにでもなればよいと思い、同じ動作を続けました。私は、「はいはい」と言いながら、ちょっとだけ笑いました。

「ふみかちゃんの、首が白く、光っているから…それで虫が寄ってくるんだよ」
私が言うと、史佳が、
「じゃあ、もっと真っ黒に日焼けすればいいってことですか?」
ちょっとムスッとした声で言い返しました。
「いや、まさか」
私は笑いました。続けて言いました。
「とても似合ってるね」
「え?」史佳が、素っ頓狂な声をあげました。
「浴衣」
「え…あ…ありがとう」
史佳は、お礼を言いながら、小さな唇をキュと結びました。その姿はまるで、口の中に含んだ宝石をこぼさないために栓をしたようでした。

そして、電車が到着しました。扉が開いて、乗車の列の先頭から、吸い込まれるように車内に入りました。
ちょうど、私がプラットフォームから車内に足を踏み入れようとした瞬間に史佳が私の腕を、そっと掴みました。その手は、とても熱かったことを、私は今でも覚えています。花火はまだ上がっていません。これから上がるのです


(第89話へ続く)

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いくじなし。

2014年7月12日 (土)

第87話:【花火が消えた夜】~その1

★第86話はコチラ

拝啓  読者様へ

僕が今から書き記す内容は、日々の戯れ言を綴る日記でもないし、ましてや、通俗的な大衆小説でもない。すべてが、この日 ―― そう。僕の人生において、きっと消え失せることなく、強烈な記憶の断片として残るであろう、あの、2013年7月26日。その当日に起こったあらゆる不条理とも思える出来事を、克明に記した、いわば「記録」である。

もし、この「記録」が、親愛なる僕の読者様の元に向けて、発信されたとき ―― すなわち、それは、もう その事実を語る時が訪れたのだと、僕が己の、内なる呼びかけに応えた、証拠である。

読者の皆様は、どうか開眼して、この「記録」を読んで欲しい。
今から記すことが、真実なのである。限りなく純真で、汚れのない、私たちの関係なのである。

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私の名は、柊木董馬(ひいらぎとうま)と申します。
主に、作家業、文筆業で生計を立てていますが、居住地である静岡県御殿場市で、塾講師のアルバイト、及び、家庭教師のアルバイトもやっています。
以前は、塾の講師が、本業だったのですが、数年前に職場での折り合いが悪くなり、自己都合で退職をしました。(※このことについては、また後ほど詳しく書かせてもらいます)

私は、妻がいました。いました、と書くということは、つまり…それはすでに過去の話だからです。
妻は、他界しました。事故でした。
「死」とは、実にあっけないものです。一分、二分、三分、とじわじわとつぼみを開いていった桜の花が、十分咲きになった途端に、みるみると萎んでいき、やがて気付かぬうちに散ってしまうように、実に、さらっ、としています。「美しいものほど、はかない」とは、よく言ったものです。私の妻も、どの花にも負けず劣らずに、美しく、華やかな存在でした。

話を、現在(いま)に戻します。

すでに、この 私 が 描 い て い る 作 品ひりひりする恋」を、前回の第86話までお読み頂いた読者様のペースに合わせて、今からお話をさせて頂きます。もし、まだ未読の方が、この回(第87話)に目を通しているのであれば、申し訳ないですが、過去の「ひりひりする恋」を、ある程度通読なさってから、これから先の文章を読まれた方が良いのかな、と思います。無論、強制ではありませんのであしからず。

**********

2013年7月26日。土曜日。

□静岡県東部地方の当日の天気
 晴れ 時々 曇り 

□降水確率 20 / 30%

□最高(最低)気温 30度(24度)

この日は、花火大会の当日でした。花火大会は、いわゆる「夏祭り」の一環で行われ、26日と27日の、二日間に渡って数万発の花火が打ち上げられます。静岡県東部地方で開催される花火大会としては、規模も大きく、来場客数も、他の花火イベント比べて桁違いに多いことで有名です。

私は、睦月沙絵(むつきさえ:以後『沙絵』と表記)の友人である、綾野史佳(あやのふみか:以後『史佳』と表記)と共に、今回の「記録」の舞台である花火大会に出かけました。

史佳は、まだ高校一年生の女の子で、初めて彼女と会ったのは、沙絵が加入していたボランティアグループが行う奉仕活動でした。
…と、これは、あくまでも建前上の話で、実際はちょっと違います。

「ひりひりする恋」を既読の読者様には、もう十分に承知しているかと思われますが、私が史佳と初対面をしたのは、御殿場のアウトレットモールでした。
私が、GAP前の広場に設けられたベンチで一休みをしていると(そのときは、私は沙絵と一緒に買い物に来ていました)、突如として目の前に史佳が現れたのです。

…と、すでに綴っている内容を、またつらつらと述べるのも、時間の無駄かもしれませんね。重要な話は、やはり花火大会当日の話ですものね。すみません。どうも話が懐古的になってしまいます。

花火大会、当日の待ち合わせは、御殿場駅でした。
私は、自宅から徒歩で駅に向かいました。私が駅に到着したのは、待ち合わせ時間の十分ほど前でした。

それから、待ち合わせ時間ちょうどに、史佳は現れました。彼女は夏らしく、浴衣を着ていました。
私が、「やあ」と声をかけると、史佳は、少しだけ笑顔を作って、恥ずかしそうにうつむきました。

「先生」彼女が言いました。
私は「うん?」と聞き返しました。
彼女は言います。
今日で、ぜんぶ終わりにしましょうね

私は、このときはまだ、史佳の放った言葉の意味が分からずにいたのです。

 

(第88話へ続く)

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2014年6月19日 (木)

第86話:【史佳と沙絵】~その6

★第85話はコチラ

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人の気持ちが、山の天気と同じように気まぐれで変わりやすいものであることは世間一般にはびこる理の一つかもしれない。それと同じように「少女」の生態も、ふうっと吹いた小さな風で、四方に飛び交うシャボンの泡のように、いとも簡単にゆらめきやすい。天気と人体を同一の天秤に乗せて、その質量を量ることはできないが、その二つに影響を受けてしまう立場になったならば、ヤレヤレなどと気休めに、ため息を吐くことも虚しくなるだけだ。

董馬は、部屋で読書をしていた。読んでいた本は、夏目漱石の「明暗」。晩年の漱石が書いた未完の大作だ。漱石にとって、この小説が遺作になった。
花火大会が、いよいよ明日の夜に迫っていた。
電話が鳴った。メールの着信音だ。沙絵かな? と董馬は思い、携帯電話のディスプレイを見ると、メールの送り主は沙絵ではなく、綾野史佳だった。

明日の花火、行けますよね?

なんだ確認のメールか、と思い、董馬は『もちろん。午後6時に御殿場駅に集合だよね』と打って返信をした。事前に聞いた約束通りに、沙絵と二人で駅に行き、そこで史佳と待ち合わせをし、三人で電車に乗って花火大会がある街へと向かう手筈だった。
電話を置いたあとに、コーヒーカップが空になっていることに気付いた。董馬は、立ち上がって、おかわりのコーヒーを注ぐためにキッチンへ向かった。起き上がる際に、ヨッコラショとかけ声をあげてしまうのは、歳のせいか。なんて通例すぎるか。

サーバーを傾けて、カップの中に残りのコーヒーを注いでいると、隣の部屋から着信音が鳴った。メールの返信が来たな、と董馬は思った。戻り、返信を確かめた。

やっぱり、明日は先生と二人で花火に行きたい

はぁ? と董馬は思う。意味が分からなかった。何を言ってるんだ、あの子は。と心中でボヤく。椅子に腰を下ろし、さて、なんて返そうか…と悩む。文頭に『やっぱり』という言葉がついているということは、つまり「考え直した」、とか「気が変わった」とか、自分勝手な主張を訴えているだけだなと、高校生相手にいらぬ詮索をしてしまう。そんな自分がものすごく大人げなく思えて、少しだけ情けなく思えてくる。

董馬は、最もオーソドックスな文面で返信をした。
『え? どうして?』

送って、一分もしないうちに返信が来た。史佳は今どこにいるのだろう、と想像する。自宅だろうか。それとも電車の中だろうか。まさか彼氏とデート中ではないのか。
史佳に恋人がいるのかいないのか、董馬は分からなかったが、十代の少女の可能な行動範囲は、そんなに広くはないはずだ。人間関係もタカが知れている、と董馬は思った。

べつに理由はないけど、二人の方がいい

ふたたび『どうして?』と返したくなるのを、すんでの所で押しとどめた。この返信内容は、まったく説明になっていない。なんの理由もなしに、予定されていた行動を変更させようとする経緯には、必ずと言ってよいほど理由があるはずだ。うんざりするほどの説明不足。心なしか両肩が重くなる。歳か。それともストレスか。

董馬は、『でも沙絵ちゃんがどう言うか分からないから、彼女に言ってみた方がいいんじゃない? 最初に三人で行きたいって提案したのは、史佳ちゃんなんだから』とメールを返した。ちょっと冷たい反応だったかな、と送信したあとに、ふと心配した。あまり冷淡なやりとりをして、史佳がふてくされてしまうのは、後々が面倒臭い展開になるな、と思った。自分の頭の中で何度も何度も言い聞かせる。相手はコドモだ。相手はコドモ。

董馬は、先手を打とうと考えた。史佳に行動を起こさせる前に、密かに根回しをしておけば、話が大きくならずにすむし、打開策が見つかるかもしれない。
すぐに携帯電話の電話帳を開き、沙絵に電話をした。彼女は今の時間、仕事ではないはずだから、きっと電話には出られるだろうという確信があった。

呼び出し音が、数回鳴ったあとに、なじみ深い溌剌とした声が細かいノイズを掻き分けて、董馬の耳元に届いた。
「もしもし」
『もしもし。先生なに?』
「今、電話大丈夫?」
『うん』
「いや、実は…明日の花火大会のことなんだけど…」
そこまで言うと、沙絵が、あぁ! と大きな声をあげた。董馬は思わず電話を耳から遠ざける。
『先生! 私もそのことで連絡しようと思ってたの!』
「へ?」
『明日ね、急にシフトの変更があって、休めなくなっちゃったの。ごめん!』
「う…そ…?」
『ウソじゃないよ! ホントホント! どうしても交代して欲しいっていう職員さんがいて、その人と代わることになったの。その分、別の日が休みになるんだけど…私も前に一度、その人にシフト代わってもらったことがあって』
「断れなかった、ってか?」
董馬が合いの手をを入れると、沙絵は、そうなのそうなの、と無邪気に繰り返した。
『でも、私が行けなくなると、史佳ちゃんが行けなくなるのか…』
沙絵は、考え込んでいるような物言いをした。
が、次の瞬間、
『さすがに大人の都合で、史佳ちゃんが花火に行けなくなるのは可哀想だから…先生、もし史佳ちゃんが、私が行かなくてもオッケーって言うなら、せっかくだから花火に付き添ってあげれば』
「へ?」董馬は気の抜けたような声を漏らす。リアルに覇気がない「屁」のようだった。
『まぁ、史佳ちゃんが嫌がると思うけど、もし嫌がるなら、今回の花火はなかったことにすればいいし…それとも先生が一人で花火に行っちゃうとか!』
と言って、沙絵は電話口でケラケラと笑った。非常に脳天気な嬌笑を聞いて、董馬は脇のあたりがくすぐったくなった。小人になった沙絵が脇腹をイタズラっぽく、ツンツンと突いているようだ。

董馬は、電話を切った。沙絵は終始、上機嫌だった。なにか良いことでもあったのだろうか。それとも久しぶりに話をして、彼女の体内の総合的なテンションが上昇したのか。

董馬は、史佳にメールを打った。
『やっぱり史佳ちゃんが、それでいいなら二人で花火、いいよ』

すぐに返信が届いた。
ありがとうございます
最後だけ敬語なのが、彼女らしいと思い、董馬は苦笑した。そして「明暗」に栞を挟むのを忘れていることに気付いた。

(第87話へ続く)

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2014年6月 5日 (木)

第85話:【史佳と沙絵】~その5

★第84話はコチラ

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沙絵がカーテンを開けた。カーテンレールが、シャァァと軽快な音を鳴らす。開けた先にある窓には、室内の光が反射して、影法師のように沙絵の人影を黒く映していた。
「ほら、真っ暗。ねぇ?」
沙絵が、カーテンの裾を握ったまま、後ろを振り向き、言った。
「だね」
董馬は、肩をすくめてみせた。そんなこと知ってるよ、という意のジェスチャーだった。
「ずっと家に居たんですか?」窓を背に、沙絵が尋ねてくる。
「うん」
「仕事は進んでいる?」
「ぼちぼち」
そう言うと、沙絵は、ふぅんと気の抜けたような返事をして、董馬の仕事部屋をチラリと覗き込んだ。リビングの隣にある六畳の洋間が、董馬が執筆をするための書斎兼仕事部屋だ。いつも原稿を書いている机の上には、デスクトップ型のパソコンが一台と、下書きで使用する四百字詰め原稿用紙が、一塊になって置かれている。
「なんか…汗くさいなぁ」
沙絵は、部屋を覗きながら、眉間に皺を寄せている。嫌悪感を示す表情を見せた。
「先生、オフロは入ってます?」
詰問口調の沙絵。
「いや、昨日は入っていない」董馬は正直に答える。
そう言うと、沙絵は、うわっ、と小さな叫び声をあげて、
「まずはオフロ入って下さい。話はそれからです」
と言った。
「なんの話?」
「なにって、さっき言ったじゃないですか。花火ですよ。は、な、び!」
「そのことなんだけど」と言い、董馬はリビングの壁際に置かれているソファに腰かけた。
どうしようか、と一瞬、迷ったが、隠し立てしても後々にややこしい展開になりそうな気がしたので、正直に言うことにした。それに、嘘をつくほどの体力も気力も残っていなかった。沙絵に風呂に入るように催促されたことで、気持ちはすでに長時間の執筆から解放される安堵感に覆われている。ここで、沙絵が家に来てくれなかったら、もっと衰弱していたのではないかと、沙絵のナイスタイミングな来訪を助け船のような心持ちで受け止めている。

「いや、実は。他の人に花火に行かないか、って誘われていて…」
董馬は静かな声で言った。そんなに大それた話じゃないことをアピールしようとしたのか、微かに笑みを浮かべている自分に気付いた。
「誰?」
沙絵が、訝しげな顔つきになる。
董馬は、数秒間黙り込み、
「ふみか、ちゃん」
と言った。
「え? そうなの?」
「うん」
董馬はうなずいた。
「あれれ? そうなんだ。あれれ?」
沙絵は、まるでモールス信号のように、あれれ、を連呼した。あれれれれれれ。
沙絵の瞳の中に、「?」マークが浮かび上がっているような錯覚に陥る。それほど沙絵は動揺した様子を見せた。
董馬は、しまった、と思った。やっぱり言わない方が良かったのか、と自分を責めた。別に史佳と逢瀬をするわけではないのだから、堂々としていれば良いかと思っての発言だったが、こうも沙絵が動揺した姿態を見せることが予想外だったので、少なからずも後悔した。

「いや、あの」と董馬が言い訳を継ぎ足そうとすると、
「それ! 私が誘われたんだよ!」
と沙絵が、我に返ったのか、董馬が驚くほどの明朗な声で叫んだ。
「え? 誘われた?」
沙絵の叫びの意味が分からず、董馬は鸚鵡返しする。
「うん」
「誰に?」
「だーかーらぁ! 私もふみかちゃんに花火に行きましょう、って誘われたの!」
「へ?」
董馬は絶句した。思考することも忘れ、思わず「それでそれで?」と沙絵に続きを促していた。
「昨日ね、ふみかちゃんから『沙絵先輩、週末の花火大会に一緒に行きませんか?』ってメール来て、それで私が『いいよ』って答えて、『でも女子二人だけだったら、ちょっと不用心かな』って私が返信したら、『じゃあ、もう一人くらい誘って、三人くらいで行きません?』って言われたから…」
「それで、さえちゃんは俺に声をかけたわけか」
「そうそう」と沙絵はうなずく。片手にはバスタオルを持っている。長々とした会話の途中で、いつの間にか董馬の入浴用のバスタオルを持ち出してくれたようだった。董馬は、ありがとう、と沙絵に礼を言って、バスタオルを受け取った。
「でも…どうして、ふみかちゃんは先生にも声をかけてたんだろう?」
「さぁ?」董馬は首をかしげた。
 
「先生は、ふみかちゃんに、花火に行くって了解していたの?」
「いや、OKはしていない」董馬は苦笑した。
「どうして?」
「それはもちろん…仕事が…ねぇ」董馬はさらに苦笑する。チラと書斎に視線を配る。その意味を悟ったのか、沙絵はアハハハと朗笑した。
「そっか! 原稿が書き終わるか分からないもんね! もし間に合わなかったら花火どころじゃないもんね!」
「うーん、まぁそういうこと」
「あれ? 先生はいつ頃、誘われたの? 花火」
「先週かな」董馬は答える。
「あれ? ってことは…最初は、先生と二人きりで行くつもりで、ふみかちゃんは誘った、ってことだよね?」
確かに沙絵の言う通りだった。沙絵が史佳から花火に誘われたのは昨日。時間的に考えれば、史佳は先に董馬に花火に行きたいと声をかけたことになる。
「じゃあ、ふみかちゃんは、先生が『OK』しなかったから、仕方なく私を誘った…というわけか」
沙絵は、納得顔で何度もうなずく。董馬は脱衣所の電灯を点けた。白色灯の光が仄白く瞬く。バスタオルをタオル掛けに掛けた。

「ねぇ」
Tシャツを脱いだところで、沙絵が聞いてきた。
「うん?」
「ふみかちゃんは、先生と花火デートしたかった、ってことかな?」
沙絵が、真面目なのか不真面目なのかよく分からない、複雑な表情をして聞いてきた。
ちょっとの間、考えて、董馬は「いや」と言った。否定だった。
「ちがうと思う。ふみかちゃんは、もし僕が『OK』しても、どうせさえちゃんを同伴させるだろうと…そう計算してたんだと思うよ。んで、僕が行くのを渋っても、さえちゃんに声をかければ、必然的に僕を引っ張ってくるだろうと…どっちにしても三人で行くことになるだろうと考えてたんじゃないかな」
そう言うと、沙絵は驚いた表情を見せた。
「そんな、作戦みたいなことを…あの子が?」
「きっと…僕とさえちゃんに言いたいことか、聞いてもらいたい話でもあるんじゃないかな」
董馬がそう言うと、沙絵は首をブンブンと振った。

「私たち二人じゃないよ」
「え?」と董馬。
「三人よ」
そう言って、沙絵はリビングの片隅を見つめた。
「先生の奥さんも、一緒に…ね…」
「そうか」
董馬は、骨壺を視線を注ぐ沙絵の横顔を見た。その顔は、ちょっとだけ悲しそうだった。

 

(第86話へ続く)

 
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2013年8月23日 (金)

第50話:【董馬】~その20

★第49話はコチラ

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「沙絵先輩っ」
董馬が去ったあと、すぐに史佳が話しかけてきた。沙絵を見つめる大きな瞳は、宇宙空間に浮かぶ恒星のように、みずみずしい輝きが溢れていた。
「なぁに?」
史佳が、へへへっと小狡い笑い声を漏らした。舌でペロと唇を舐めた。うすい唇だった。
「あの、えーと…」
「もう。どうしたの? 史佳ちゃん」
沙絵よりも幾分か身長が高い史佳が「えっとですね、あのですねー」と言って、身をすり寄せてきた。
「ひいらぎ先生って、歳いくつなんですか?」
「たしか、今年35くらいだった気がするけど…それが?」
「あれ? 沙絵先輩っていくつでしたっけ?」
「私? 22だけど?」
「じゃあ、13歳差ですね。年の差カップルになりますね」
「カップル?」

史佳が奥二重になるほど眉根を寄せて、含み笑いを漏らした。沙絵は「ちょっと」と言葉を詰まらせる。
「ウソですよね?」
「なにが?」
「本当は、ひいらぎ先生と付き合ってるんですよね?」
「は?」
「隠さなくたっていいですよ。今は何十歳も離れてもラブラブでいるカップルは多いですから。全然おかしくないですよ」
史佳は、フンと鼻を鳴らして、得意げに言い放った。心なしか胸を張ってふんぞり返ってる。
「いや、あのラブラブって…史佳ちゃん、ねぇ史佳ちゃん!」
沙絵は、嬌声をあげた。平手で史佳の腕をはたいた。史佳がきゃあ! と身を離す。面白そうに笑っている。
「ちょっと! 本当に付き合ってなんかないんだからね!」
「あ、ムキになってるー!」史佳がケラケラと笑う。沙絵を指さし挑発している。

沙絵が「もう!」と叫んで、史佳ににじり寄ると、跳ぶように後ずさる。
ショートカットの黒髪が重力を感じさせずに、ふわりと舞う。衣替えしたばかりの白い制服とベージュのスカートが、跳躍した影をぽつんと残した。沙絵の鼻先に、史佳の残り香が吸いついた。柑橘系の香りがした。それは青春のにおいだった。どこか懐かしくも、目が離せないほどあやうくて、少女を連想させる可憐なにおいだった。沙絵は「くそぅ、可愛いなぁ」と苦笑し、つぶやいた。

沙絵は、史佳を追いかけ回しながら、心のどこかで、史佳のことを羨ましいと感じていた。
自分の思ったことや、直感で感じたことを素直に口に出せる、言葉にできる、その若さや無謀さが、羨ましかった。別に史佳が15歳だから、高校生だから、軽々しい口ぶりで接することができるとは限らず、そもそも、こういう屈託のないやり取りができるのは、史佳の性格の所為かもしれなかった。

でも、それらすべての要因を吟味して考慮しても、沙絵にはできない芸当だった。自分の想いを、感情を、考えていることすべてを、屈託なく吐き出すことはできない。そんな中途半端な自分の性格を、沙絵は嫌っていた。

私も、もっと素直になれたらいいのに。
沙絵は、史佳を見て、ひとり夢見ごちていた。

 

 

 

 

董馬は、車の後部座席にリュックサックを置いた。中には骨壺が入っている。なにかひと言かけようかと思ったが、やめた。慣れ親しんだ肩の重みがなくなり、なぜか心までもが軽くなった気がしていた。

電話が鳴った。スボンのポケットの中で、バイブレーションが細かな振動を骨盤に伝えている。取り出し、画面を見た。知らない番号が表示されていた。電話帳に登録していないのだろう、090ではじまる携帯電話の番号のみが横一線に並んでいる。

「はい。もしもし?」
「先生、私です」
「え…」

 

「私です。赤星美緒です」

 

董馬は凍り付いた。懐かしい声だった。董馬が塾講師を辞める原因になった、過去をすべて背負っている罪かぶりの声だった。

 

(第51話へ続く)

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2013年8月21日 (水)

第49話:【董馬】~その19

★第48話はコチラ

史佳との距離があまりにも近すぎて、董馬は思わず生唾を飲み込み、喉の奥をキュッと鳴らした。真綿で首を絞められたような、やわらかな息苦しさが襲ってきた。大きな瞳が董馬を見上げていた。近接した拍子に、史佳の頭髪から柑橘系の香りが漂い、董馬の鼻孔を刺激した。「この子は、近い!」と董馬はひとり悶絶した。

沙絵と付き合っているかどうか、と聞かれれば、厳密には付き合っていない。お互いの家を、とは言っても沙絵が一方的に董馬の家に押しかけ、一日中を同じ屋根の下で過ごすこともあるが、それはそれだった。それだけだった。
男女間の、性的なセクシュアルな関係は、今のところない。『今のところ』と前置きするのも野暮な話だが、二人の関係を『現在(いま)』から起算すれば、今後、未来にかけて二人の関係が大きく前進し、いわば男女の契りを結ぶような親密な関係に陥ることはありえない話ではない。それは董馬も自覚していた。

妻を亡くして、もう幾分かの時間が経った。時間が嫌なことを忘れさせるという言葉は、あながち嘘とも言えない。風化される過去にしてはいけない思いはあるものの、過去を引きずったままでは、人間は進歩しない。

日々進歩

これは董馬が、まだ塾の講師を務めていたときに、生徒に向けて語っていた提言のひとつだった。董馬は実際の授業のほかにも、精力的に生徒たちと個別な面談指導を繰り返して、親身な世話をする講師として有名だった。なかには、わざわざ董馬の個別指導の評判を聞きつけて成績の善し悪しに関係なく、我が子に面談を要求する保護者も居たくらいだ。

董馬は、そんな傍若無人な振る舞いをする保護者の要求も、できる限り受け入れ、授業外の時間も費やし、個別面談をして、生徒たちのさまざまな相談に乗っていた。生徒たちの相談は、勉強以外の内容が多かった。董馬が受け持っていたのは、中学三年生と高校一年生の生徒だった。

多感な時期を通過している少年少女たちの悩みは、雑多に富んでいた。進路のこと。将来のこと。家庭のこと。学校のこと。友人関係のこと。そして恋愛にまつわること。

生徒たちは、子どもなりに抱えたストレスに抑圧されないように、微妙に社会との距離をとりながら日々を過ごしている。相手の顔色をうかがい、いわゆる『空気を読む』ことを学びはじめるのもこの時期だ。部活動に所属している者は、必然的に先輩・後輩の関係を育みながら呼吸をすることを余儀なくなれる。尊敬する者と、気を許せる者が同一ではないと、薄々と気付き始める。

そして、個々の脆弱さに、はたと気付く。
自分はなんて脆いんだろう。自分はなんて弱いんだろう。
自分はひとりでは生きていけない。自分という存在には他者が必要だ。

この世にたったひとりしかいない『個人』というものを創造し、または高めるとき、素材として他人の協力と、お互いの犠牲が必要だということ。他者の必要性を実感するために、人肌の温もりと、生まれ持った血縁…そして言葉が必要だということに自然と気付く。

自分という人間を確立するために、ひとは恋愛をし、友情を育む。自ら周囲をコントロールし、またはコントロールされることに快感と充実感を得る。その繰り返しと保守的な行動が幸福な日常を送る術だと、そう思い、思い込むために、やはり前進を怠ってはならない。

「毎日、何かを前進させるんだ。進歩させるんだ。君にはそれができる」

あらゆる相談事が終了したあとに、董馬は決まって、この台詞を言い、満面の笑みで生徒を見送っていたのだ。

 

 

「ううん、付き合ってはないよ。私と柊木先生は、先生と教え子の関係だから」

沙絵が、ひと言ひと言を噛みしめるように言った。董馬は傍らにいる沙絵を見た。沙絵はにこやかな笑みを浮かべていた。
「なぁんだ。ふぅん、へぇ。なぁんだ」
史佳は、董馬と沙絵の目を交互に見て、首をコクコクと揺らしながら、ひとり納得した仕草を見せた。
「さぁ、そろそろ会場に行って、受付しないと、もうすぐ全体の集合時間になるよ」
沙絵が、仕切り直しというように手をパンと打って、董馬と史佳に呼びかけた。

「ちょっと、これを車に置いてくるよ」
「え…」
董馬は、背負っているリュックを顎先で指し、駐車場に向かって踵を返した。骨壺を置いてこよう、そう決めた。
「それが沙絵の望みなら」そう心の中でつぶやいた。

 

 

 

あれは個別指導が終わってすぐだった。
机を挟んで、正面に座っていた沙絵が、いきなり腰を浮かせて、董馬の襟首を掴んだ。董馬のネクタイをグイと引っ張った。
董馬は、咄嗟のことで声も出ず、沙絵の動きに身を任せた。
沙絵が机の上に身を乗り上げ、董馬の唇を奪った。沙絵は15だった。

 

 

あのときの沙絵は、さっきの史佳と同じ香りがしていた。
董馬は、狂わしいまどろみに包まれて駐車場を歩いた。

 

(第50話へ続く)

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2013年8月14日 (水)

第48話:【董馬】~その18

★第47話はコチラ

史佳と呼ばれた少女は、董馬と沙絵が立っている方に向かって、トトトと駆けてきた。短く刈り込まれた黒髪が、駆ける振動でこまかく揺れていた。少女は、笑顔を浮かべたまま沙絵の元にたどり着いた。散らばった前髪を指先で掻いて整えながら、少女は「おはようございます」と言った。元気な声だった。

「沙絵先輩、待ってました。よかった、合流できて! ヘヘヘ」
少女は、一気にまくし立てると、恥ずかしいのか興奮してるのか、語尾で笑いを漏らした。
「私も! 今ちょうど連絡しようと思ってたとこなの。見つけてくれてラッキー! 手間が省けたよ」
沙絵も愉快そうに笑った。
「何時頃に着いたの? けっこう早かったんじゃない?」
「ううん、ついさっき着いたんです。小田急線で新宿まで出て、それから乗り換えて信濃駅まで来ました」
「えぇ? すごい! 電車乗り換え上手だね。ひょっとして東京は慣れてる?」
「ううん、そんなことないですよ。でも、朝に御殿場を出るのが早かったから、今は少し眠いです」
史佳と呼ばれた少女は、快活に笑った。

董馬は、少女を見た。少女の肌は、洗いたての皿のように白く、清潔感にあふれていた。その静謐なみずみずしい輝きが、若さからくるのか、少女の生まれ持った性質なのかは分からなかった。
制服は、たしかに御殿場市内でよく見かけたが、学校名までは思い出せなかった。膝上丈のスカートから伸びた足が、神宮球場の外郭から漏れる朝日を浴びて、黄色く光っている。膝頭に、ひとつだけ絆創膏が貼っていた。絆創膏の表面に染みはなく、そんなに大した怪我でもなかったのだろうと、董馬は何とはなしに思った。

「あ、そうだ。紹介するの忘れてた」
沙絵は、董馬の腕を引っ張った。
「えぇと、こちらは、柊木さん。柊木先生です。それで、こっちが綾野ちゃん。綾野史佳ちゃん。高校…」
「一年生です」史佳が、指を一本立てた。
「そうそう。高校一年生。住まいは御殿場だけど学校は沼津で、高校のボランティアサークルに所属してるんだよ」

半ば強引に、沙絵に紹介された董馬は「どうも」と会釈をした。身長が高い董馬は、きちんとお辞儀をしていると相手に分からせるように、いつも首と同時に肩も幾分か下げるのが癖だった。お辞儀が終わり、均一に肩をせり上げたと同時に、少女が「あ!」と叫んだ。先ほど、高校一年生を主張するために伸ばした人差し指が、董馬に向けられた。

「前に会ったことありますよね?」
「え? 僕?」
「はい。あれ、でもどこで会ったんだっけ?」
「それは最近の話?」
「たぶん」
少女は、董馬を見つめた。丸く大きな瞳だった。目尻がつままれたように、ほんの少し吊り上がっている。
しばらく、見つめ合ったあとに少女は、ふたたび「あ!」と声をあげた。前回よりさらに大きな声だった。たまたま少女の背後を通りかかった人が「何事か?」と視線を送った。

「アウトレットで会いました! ほら! 骨の入ったやつ、骨壺をアタシが拾って…それで、そこで少しだけ話したことがあります。ありますよね? そうですよね?」
少女は、畳みかけるように話しかけてきた。董馬との距離が縮まる。董馬は、後ろに一歩、身を引いた。そして、少女と関わりをもった記憶を蘇らせていた。心に針が通った。

「あぁ、うん。思い出したよ。そうか、ふみかちゃんって言うんだ。そうか…名前を聞いてなかったよね。いや、あの状況で名前を聞くのも滑稽か」
「何? 二人とも知り合いなの?」
沙絵が、不思議そうな狐につままれたような目で、董馬と少女を交互に見つめた。あきらかに当惑した表情をしていた。
「まぁ、知り合いというか。以前、偶然会ったんだ。でも、そのときはたしか沙絵ちゃんもいたはずだよ」
「え? そうなの?」
「うん。あ、たしかトイレに行ってたような気がする。アウトレットでね」
沙絵が、逡巡してると史佳が唐突に口を開いた。

ひょっとして、先輩と付き合ってるんですか?

無垢な瞳が向けられていた。深淵な眼差しだった。

 

(第49話へ続く)

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