赤星美緒

2014年3月18日 (火)

第80話:【美緒と董馬】~その20

★第79話はコチラ 

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美緒は、電車の中で見かけた董馬の姿に、尋常ならざる気配を感じていた。それは美緒のカラダを通過した、その他大勢のオトコには存在しないものだった。董馬は、虚ろな眼差しで、車窓の景色を眺めていた。 その瞳には生気が感じられなかった。董馬のカラダには小さな「死」の匂いがあった。自らが死と対峙しているのではない。他者の「死」を受け入れた者だけが醸し出す、孤独な悲愴感だった。

美緒は、董馬に興味を抱き、そして男性的魅力を感じた。身体の中心を貫いていた疼きが、よりいっそう噴出された。性と死に対する豊潤な思考が、吊革に掴まる董馬ひとりに向けられた。美緒は、電車を降り、董馬を誘惑した。途中で、董馬の気遣いに心の琴線が揺すられ、そして美緒は涙を流した。まだ駅の中だった。

美緒は、仕事終わりの董馬をコンビニまで呼び出した。美緒は董馬のことをもっと知りたかった。なぜこのオトコに、こうも「死」の芳香が漂うのか。このオトコは何を背負い、今こうして生きているのか。それらの疑問は、今まで美緒が経験したオトコの本性とはかけ離れた分野に思えた。

花やしきに連れて行くようせがんだのは、作戦だった。美緒は、花やしきが早々と閉園することを承知していた。行く先が滞り、困り果てていた董馬に対して執拗に迫った。董馬を引き留めるために、美緒は偽りの涙を流した。そして「死」を連想させる言葉を羅列し、董馬を惑わせた。色香を使い、死を匂わせる。オトナを墜落させるのは、これだけで十分だった。美緒の十七歳としての魅力は完璧だった。

ホテルに入った。錆びついたホテルだった。床も、壁も、バスルームも、大型のダブルベッドも、えんじ色の絨毯も、鑞で固めたような電飾も、すべてが、幾多のオトコとオンナの息吹がかかり、薄汚れていた。

たしかにあのとき、美緒は柊木董馬に抱かれた。それは純然たるカラダの契りであり、快感を伴うセックスだった。董馬が欲情を放出し、荒い息遣いでうなだれている。抜け殻のようになった董馬に向かって美緒は言った。

「どうだった私のカラダは?」
董馬は黙っていた。そして突然立ち上がると、脱ぎ散らかした服を着始めた。美緒は続けて言った。
「なに? 無視するの? ねぇ、サイコーだったんでしょ?」
美緒は、ベッドから身を起こすと、ワイシャツを羽織っている最中の董馬に詰め寄った。
「オジサン聞いてんの? 私、女子高生だよ。そこらへんの二十代とか三十代のオバサンたちとは違うんだよ。良かったでしょ? 十七歳は良かったでしょ? 何もかもが、そこらへんのオンナとは違うでしょ? ねぇ!」
董馬はボタンをかける手を止めて、美緒を見つめた。

董馬の視線を受け止めた途端に、美緒は思わず息を飲んだ。
董馬の視線からは、よりいっそう「死」が溢れているように見えた。
このオトコは、何も変わっていない。良かったのは私だけ。このオトコは、ナニモカンジテイナイ…

美緒は、董馬にしがみついた。ワイシャツの襟首をむんずと掴み、揺すった。身体に貼り付いていたシーツが床に落ちた。汗ばんだ美緒の裸体が、董馬の衣服に吸いついた。
「おい! フザけんな! 何とか言えよ! 良かったんだろ! 若いオンナを抱けて良かったんだろ!」
董馬は何も答えなかった。感情の稀薄な表情をしていた。美緒は憤慨した。
「何だよテメェ! 一生懸命、腰振ってたくせによ! しっかり出すもん出しやがったくせによ! 何が不満なんだよ! オッサン! 何とか言えよ! いいか、これは淫行だぞ、テメェ! 私がここで警察に電話すりゃあ、オッサンは一発で捕まるんだぞ! それを分かってんのか!」

美緒は力の限り吠えた。無意識だった。ワイシャツを引っ張る力が強まった。ボタンがいくつか弾け飛び、汗臭い絨毯の上に落下した。
美緒は泣いていた。悔しくて泣いたのか、悲しくて泣いたのかは分からない。ただただ涙が止まらなかった。

嗚咽を漏らす美緒に向かって、董馬が言った。風のように実態を持たない掠れた声だった。
「ごめん。僕はもう死んでいるのと同じだから」
董馬は、最後に小さく笑った。
「ごめん」
董馬は美緒に深々と頭を下げた。美緒は、その場にへなへなと座り込んだ。
部屋の電話が鳴った。チェックアウトの時間だった。

 

 

******************************

霊園の駐車場は、木々などの遮るものがないせいか、墓所よりも雨脚が強く感じられた。ビショ濡れになっていた美緒を助手席に乗せた董馬は、後部座席に積んでいたスポーツタオルを美緒に渡した。美緒は無言でタオルを受け取ると、雨露に濡れた顔を静かに拭き始めた。美緒が言った。

「私…言わなかったんですよ。警察…」
董馬は、美緒の言っている意味が分かり「あぁ」と返事をした。

「あのとき…私は死ぬつもりで電車に乗りました。フラれたから死のうと思った…なんて、今思えばバカですよね…そこで先生を見つけた。先生に死の匂いを感じたから…私と同じ人間だと思ったから…でもね違ったんです」

美緒はそこで言葉を切った。数秒間の沈黙のあと、続けて言った。
「私は、先生と過ごした翌日から、もっとマジメに生きてゆこうって…そう思って、ちゃんと学校にも塾にも通い始めて…それで一浪はしたけど、大学に合格したんです。大学生になっても、遊びなんかを憶えずに、ちゃんと勉強をするつもりだったんです。だけど…」

美緒は、目頭を手のひらで擦った。
「そこで自分が高校生のときに、フラれたオトコにそっくりな先輩がいて…その人は、私の同級生の女の子の元夫で…でも、私は…その先輩に好かれたくて…それで、また昔みたいに、昔の病気みたいに、先輩と関係を持ってしまったんです」

美緒は、鼻をすすり上げた。両手は腹部を押さえている。
「その先輩と付き合うようになりました。しばらくしてコドモができました。彼の子です。そのことを彼に告げました。彼は、たぶんコドモなんて欲しくないし…それで私のこともウザくなっていたんだと思います。彼は、元妻だった私の友達とふたたび繋がってしまったんです。そこで…復縁をアピールするつもりなのか、私のいる前で…私が覗いているのを承知で、部室で見せつけてきたんです…セックスを…」

そこまで言い切ると、美緒は沈黙した。董馬は黙って聞いていた。沈黙は長かった。大きな雨粒がひとつ、ボタッ! とフロントガラスに落下した。弾かれたように沈黙が破られた。

「先生…私を殺して下さい」
「それは無理だ」
董馬は言った。首を激しく横に振る。

「先生ならできるはずです」
董馬は、美緒を見つめた。美緒の瞳は真剣だった。

 

奥さんを殺したように…私も殺して下さい

フロントガラスが白く濁った。深い霧が車を包み込んでいた。

 

(第81話へ続く)

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2014年3月 6日 (木)

第79話:【美緒と董馬】~その19

★第78話はコチラ

美緒は高校に進学すると、何人ものオトコと関係を持った。美緒の行為を咎める者は誰も居なかった。同じ屋根の下で暮らしている両親でさえも気付かなかった。美緒は街に繰り出した。調布にある自宅から、少しだけ足を伸ばせば、そこには美緒の願望を満たすことのできる妖艶な街があった。

美緒は、けっして大人びた自分を見せようとはしなかった。濃いめのメイクを施したり、ノリの良い小洒落たファッションを纏うこともしなかった。十七歳の自分、高校生という小粒の自分を全面に押し出した格好で街を歩いた。それは、どことなく素朴で、無垢で、すがすがしく、洗練された少女の気配が漂うものだった。美緒は完璧な少女を演じた。 繁華街をぶらつく行為を繰り返していると、そのうち美緒に声をかけてくるオトコが姿を現すようになった。

さいしょのオトコは、ミチルと言った。ミチルは二十歳で、都内にある私立大学に通う大学生だった。ミチルにはカノジョが居た。美緒は、それでもいいとミチルに言った。ミチルは歓喜し、野良犬が餌を貪るように、美緒のカラダをしゃぶり尽くした。セックスのあとに、ミチルが、カノジョと別れるから俺と付き合おう、と言ってきた。美緒は、いいよ、と返事をした。ミチルは灰皿で煙草をもみ消し、美緒を抱きしめた。

ミチルとセックスした日、美緒は帰宅し、姿鏡の前でピアスの穴をひとつ開けた。「ミチルの穴」と名付けた。両親にピアスを開けたことを正直に告白した。両親は何も言わなかった。

ミチルは、会えば必ずカラダを求めてきた。美緒は、ミチルの求めにはすべて応じた。ミチルに交際を宣言されて、三週間ほど経ったとき、ミチルのカノジョと名乗る女が、ミチルのアパートに駆け込んできた。美緒とミチルは一緒にシーツにくるまっていた。ミチルのカノジョが、ミチルに殴りかかった。美緒は慌てなかった。ミチルの寝室からスルリと抜け出すと、ゆっくりとした動作で下着を身につけ、ワンピースを着た。白いワンピースはミチルの趣味だった。玄関でパンプスを履き、じゃあね、ともサヨナラとも言わずにミチルのアパートを出た。そして煙草に火を点けた。煙草の煙が美緒の横っ面を通り過ぎてゆく。

ミチルと別れたあとに、美緒は数ヶ月ごとの間隔で、寄り添うオトコを変えた。繁華街で、美緒の無垢な装いは、かえって目立つ結果となった。美緒には「少女」を演じることに独特の才能があった。少女好きのオトコが美緒の元に集まった。結果、美緒の元には新しいオトコが絶えず、美緒の性器は潤ったままだった。

 

たくさんのオトコと寝たが、自分のことを「好きだ」と言ってくれるオトコと寝たときだけ、美緒はピアスの穴を開けることにした。そのオトコが、美緒のことを本気で好きでいてくれるかどうかは、問題ではなかった。レンアイには言葉があればいい。言葉だけがあればいい。それがカラダの関係を超越したレンアイの真の姿だと思っていた。

教師に貞操を破られた日、美緒のカラダは、オトコの温もりから愛を得ることは間違いだと悟った。カラダは快楽の追及の為だけに存在する。カラダに必然性と運命的なものを持たせてはいけない。信じられるものは言葉だけだった。

その日は、二つ目のピアスを開けるつもりだった。オトコの元にメールを打った。学校が終わったら、落ち合う予定だった。繁華街で出会い、何度かデートを重ねたオトコだった。オトコは社会人で、大学を卒業し真面目に働いていた。いつものオトコたちと違い、そのオトコは、初めて会った合コンの席で、美緒に誠実な態度で接してくれた。シャイなオトコだった。美緒は、好感を持って、そのオトコに接した。

今日こそ「好きだ」と言われたい。もし相手から言われなくても、自分から「好きだ」と言ってみようか、とでさえ美緒は考えていた。

メールの返事が来た。本文には『友達の友達から聞いたけど、美緒ちゃんってサイテーな女なんだね。もう会えないです。ごめんんさい』と書かれていた。

美緒は絶句した。そして自分の素行を、はじめて恨んだ。自分が今までオトコを漁り、尻軽な女に落ちぶれてしまっていたことを、このときはじめて気付いた。自分はうまく立ち回っていたつもりでも、享楽とゴシップに彩られた繁華街では、目立つ人間はすぐに絞り上げられる。美緒は街の風評に我が身をえぐられた。

山手線の電車の中で、美緒はそのメールを読んだ。押しくらまんじゅうのような肉厚に挟まれ、車内にあふれた湿気を帯びた体臭に、喉に穴が開きそうなほどむせ返った。労働者の群れに飲まれたまま、美緒は車窓から薄ぼけた梅雨空を見つめた。

光が届かない街の風景を眺め、美緒は「死のう」と思った。そう覚悟を決めた途端に、急に下半身が熱くなった。いつも姿鏡の前で繰り広げる痴態を生じさせる悦楽を求める性癖が、むくむくと沸いてきた。美緒は制服の上から、自分の内股を押さえた。

カラダの疼きを必死に押さえていると、美緒は、場違いなオトコを見つけた。満員電車の中だった。オトコは雨雲が拡がる空を見つめ、泣いていた。柊木董馬だった。

(第80話はコチラ)

 

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2014年2月26日 (水)

第78話:【美緒と董馬】~その18

★第77話はコチラ

高校生になっても、美緒の自虐的な思考は衰えることがなかった。その日常には、必ずといってよいほどに「死」の匂いがまとわりついていた。美緒は家庭では普通の女子高生を演じていた。それは中学生のときから変わらない習慣だった。家庭でも学校でも、美緒は巷にあふれる少女らと同じように自分という存在が、どんな荒波に揉まれても破壊されることのない不偏な存在であるように努めた。しかし、どんなに家庭で健気なムスメを演じようと、学校で青春を謳歌するティーンエージャーを演じようと、心のどこかで、今そこにある日常が、やがて枯れゆく路傍の花のように、はかなく、痛々しいものとして映っていた。

身体が発育し、少女から女性へと変化する兆しが顕著に現れるようになってから、美緒は自身の裸体を姿鏡の前に映し出すようになった。以前は自宅の玄関に置かれていた姿鏡を、両親にねだって自室へと持ち込んだ。美緒の両親は、美緒の要求を、快諾した。自分の容姿に興味を持ち始める思春期の女の子には当然のものだと解釈したからだ。

美緒は、自室に姿鏡を立てかけると、その前に立った。鏡に映る自分の容姿を、美緒は冷ややかな目で眺めた。鏡に映っている赤星美緒は、生気を失っているように思えた。細い黒髪が寒々しく垂れ、色白で全体的に細い輪郭をしている。まるで灯火が消えた蝋燭のようだと思った。

制服のスカーフを襟元から抜き取った。草が風にそよぐような衣擦れの音がした。スカーフを床に落とした。スカーフは無音のまま絨毯の上に落下した。ブラウスのジッパーを上げ、一気に脱いだ。上半身はブラジャーだけになった。ブラジャーの突起から生み出された影が、みぞおちのあたりに拡がっている。鎖骨とあばら骨が浮かび、全体的にくぼみがある。へその下に生白い産毛が生えているのが見えた。触っても毛が生えている感触はない。スカートのフックを外し、ジッパーをゆっくりと下ろした。なぜかスカートはゆっくりと脱ぎたくなる。

いつものことだった。臀部のあたりまでスカートを落とすと、途端にひんやりとした空気が内股のあいだを通り抜ける。美緒は身震いをする。爪先でスカートを蹴り、横にずらした。下着以外はいっさい纏っていない自分の姿が、鏡の前に映っている。美緒は、背中に両手を持って行き、ブラジャーのホックを器用に外した。熱と汗が混ざったブラジャーが外れると、言いようもない解放感に襲われた。美緒はまた身震いをする。胸は張っていた。触れると痛みが走り、響いた。

最後にパンツを脱ぎ終えると、美緒は姿鏡に近付いた。鏡の中には赤星美緒がいる。それは紛れもない自分。ひとたび制服を身に纏えば、そこら辺の女子と同種である普通の中学生だ。家に帰れば「ただいま」、寝る前には「おやすみ。パパ。ママ」、家を出るときには「いってきます」、教室に入れば「おはよう」、休み時間となれば頭の中でジャニーズの誰々くんの履歴書と、昨日見たテレビ番組のチャプター再生、チャイムが鳴ったら「さようなら」「また明日」「ばいばい」「ばいばい」

でも、そんなノーマルな日常を送る赤星美緒を、鏡の中に閉じ込めることができる。しがらみと建前を纏った自分を捨て、丸裸となった自分を長々と見つめてみる。そうすると、頭の中に、けっして浮かんできてはいけないもの、甦ってはいけない想念がじわじわと、まるで小穴から蛆虫が湧くように這い出てくる。鏡の外の美緒はそれを拒まなかった。

それは、あの担任教師との情事だった。
忘れられない陵辱な事件。
思い出すたびに、美緒の身体は疼いた。

疼きを呼び起こした記憶は、美緒の指先につたわり、やがて自慰へと続いた。
美緒は、鏡の中のもうひとりの自分に見せつけるように、自慰に励んだ。
過去に受けた陵辱を快感へと変化させ、自らの性器を弄んだ。
幾度となく訪れる絶頂の中で、美緒は女体の恐ろしさと、魔物のように巣くっている悪辣な性癖の業深さを知った。

いつものことだった。自慰が終わり、朽ち果てた枝葉のように床に寝そべっていると、途端に涙があふれてきた。誰にも言えない秘密。誰にも言えなかった、あのプールでの出来事。更衣室での陵辱。握らされたペニス。拒めなかったオトコノカラダ

美緒は上半身を起こすと、目の前にある姿鏡を見つめた。鏡の中にいるもうひとりの自分に向かって、美緒は「死ねよ」と言った。もう涙は止まっていた。

 

(第79話へ続く)

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2014年2月13日 (木)

第77話:【美緒と董馬】~その17

★第76話はコチラ

美緒は、死に場所を求めて日々の時間を積み重ねていた。それは自我がどういうものなのか定まらずに浮遊する淡い気体のようなもでもあり、ゆるやかな波間を潮の流れに身を任せて漂う海月のようでもあった。ときには陽光がさんさんと照りつける南海の灘での漂流であったり、または極寒の荒波が押し寄せる北海の沖での漂流であった。美緒は自らが小学生のときに教師との卑猥な行為に及んだことを後悔していた。精神的苦痛、トラウマ、性的虐待、児童わいせつ…美緒が教師と及んだ行為は、言葉で説明しようものなら、いくつでも当てはまりそうな言葉が出てくる。美緒は、自分が教師にイタズラをされたことが自分の成長に害をもたらしていると気付いた。

それに気付いたのは、中学生にあがり、周囲の同級生の女の子たちが、恋や愛だと、ほほえましくも健気にささやき始めたのを目の当たりにしてからだ。すでに男の情欲の塊とも言える卑猥な肉体を自身の身体の中に受け入れていた美緒は、社会的にも、子どもの世界で、自分を子どもらしく振る舞わなくてはいけないという、小さなパソナリティにおいても、周囲の期待に応えるように「中学生の女の子」を演じることが、空虚で白けたものに思えていた。教室の隅にかたまり、どこそこの男子がかっこいい、何とかという先輩がかっこいい、などという浮ついた男子崇拝の会話をしている同級生の女の子たちの輪には、美緒は混ざることができなかった。所詮、彼女たちが語っているのは、すでに美緒が通過した場所だった。男を知ってしまったことが、美緒を孤立させ、そして偏狭な世界をつくるきっかけとなっていった。

初めてのオトコは、オトナで、そこにレンアイはなかった。美緒は、教師に受けた辱めを誰にも言えずに、ひたすら自分を見つめることで耐えた。どうして言えなかったのだろう、と美緒は後々になって考えた。しかし答えは導き出されなかった。

行為が終わったあとに、教師は美緒を更衣室にあったシャワールームに招き入れ、美緒の足元に屈み込むと、用意していた石鹸で美緒の白魚のような小さな身体を優しく洗った。美緒は下半身が擦り切れて、火傷をするような痛みを覚えていた。そのひりひりする箇所に石鹸の泡をまとった教師のぬるぬるとした手が伸びた。教師は美緒の身体の中心を丹念に撫で、洗った。按摩をするような手つきだった。教師の手は突けば飛び跳ねそうなほど震えていた。教師はなぜか水着を着ていた。他人に見つかっても、水泳の練習をするところだった、などという言い訳を通用させるためだった。でも状況的に明らかに二人の光景には違和感がある。美緒は全裸でシャワーを浴びていたからだ。

美緒の身体を洗っている最中に、教師は、何度も
「僕は、君が好きだ。君が好きだ」
と、呪文のようにつぶいやいていた。美緒は言った。
「好きだから…いいんですか」
突然の美緒の問いかけに教師は、ハッとし目を剥いた。そして美緒の股ぐらに前腕を沿わせたまま、卑屈な笑みを見せた。教師の顔面には飛び散った泡が付着していた。
「そうだよ。好きだからいいんだ。赤星が先生のことを好きになって欲しいとは思わない。赤星は可愛いからモテるだろうし、どうせ先生のことなんか好きになる対象じゃないと思うから。でも、先生は赤星のことが好き、それだけは分かって欲しいんだ」
教師は、やけに自信満々にそう言い放つと、目尻をさげて、おそろしいほど柔和な表情を見せた。

その教師の顔面を美緒は殴った。殴る瞬間は目を瞑っていた。目を開けると、教師が、鼻のあたりを手のひらで押さえて、犬の威嚇のようにウー、ウーと痛そうにうなっていた。美緒は、続けて殴った。突き出した拳が教師の額に直撃した。空いた方の拳で、今度は教師の耳のあたりを殴った。ベチッ! と渇いた音がシャワールームに響いた。教師は、ウワッ! と素っ頓狂な声をあげた。美緒は拳に痛みを感じたが、構わず、無我夢中で拳を振り上げていた。もう目を瞑ってはいなかった。

美緒は、無声のまま、頭を垂れた教師の頭頂部を蹴飛ばした。教師がもんどりうって水浸しのシャワールームの床に倒れた。教師の水着に異形の膨らみを見つけて、美緒は先ほどの行為を思い出した。途端に猛烈な吐き気が湧き出て、気分が悪くなった。そして美緒は泣いた。泣き声を聞いた教師は、我に返って、ヨタヨタと歩き、シャワールームを出ると、手に一通の封筒を持って戻ってきた。教師は、シャワーのコックをひねり、放水を止め、封筒を美緒に差し出した。封筒を受け取った美緒は、封筒の中を覗いた。
「僕は明日、学校を辞めるんだ…これは僕から赤星へのプレゼントだよ」

封筒には、百万円が入っていた。美緒は、さいしょオモチャではないか、と勘ぐったが、教師は「ホンモノだよ」と念を押すように言った。美緒に殴られて、赤く痛々しそうに腫らした鼻を除き、その顔は優越感に満ちていた。

それから一週間もしないうちに、その男性教師は学校に辞表を提出し、やがて依願退職をとなった。美緒は小学校を卒業するまで、百万円が入った封筒を教室の机の引き出しに隠して、どこにも持ち出さなかった。卒業式の当日にタイムカプセルの中に、その封筒を入れた。封筒以外は入れなかった。タイムカプセルには土がかけられ、美緒が成人を迎えたときに開封される計画だった。
タイムカプセルを埋め終わった直後に、美緒の身体に奇妙な変化が押し寄せた。それは波動となって、美緒のおぼつかない足元をすくった。

美緒は、教師の手つきを思い出した。ぬるぬるとした触感。ひりひりとした痛み。その日、美緒の身体に初潮が訪れた。

(第78話へ続く)

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2014年2月 5日 (水)

第76話:【美緒と董馬】~その16

★第75話はコチラ

美緒は董馬を見上げた。顔をくしゃくしゃに歪ませている。両頬を涙がつたう。が、その涙も、すぐに滴る雨粒に混ざり、一連の流れとなり顎の先から地面に滴り落ちた。

「柊木せんせい…ごめんなさい。迷惑かけてしまってごめんなさい…」
そう言って、美緒はその場にしゃがみ込んだ。董馬の視界に美緒の頸椎部が見えた。細い首には、骨が浮いて見えた。
董馬は、「とにかく、ここから移動するんだ。このままじゃ二人とも雨に打たれすぎて、ぶっ壊れてしまう」と言って、美緒の身体を抱き起こした。美緒の身体は、重みを感じなかった。董馬は、無言のまま強引に美緒を引っ張りながら、雨露を凌げる場所を目指した。ちょうど50メートルほど先に、屋根付きの休憩スペースがあった。備え付けのベンチと木製のテーブルがあった。

董馬は、美緒をベンチに座るよう指示した。美緒は震えながら大人しくベンチに腰を下ろした。美緒は、両腕を交差して己の肩を抱きかかえていた。肩を抱え込むことによって窮屈に締め付けられた美緒の身体は、よりいっそう細くなり、まるで柳の枝のように見えた。

「君は」董馬は言った。
「なぜ、こんなことをする。あのときもそうだった。なぜすぐに死を選ぶ
美緒は、董馬から視線を外したまま、かぶりを振った。いつの間にか泣き止んでいる。
「分からない…自分でも分からないんです。ただ、気付いたら…いつのまにか…そう…なるんです」
美緒の言葉は途切れ途切れだった。
「自分のことなのに、何も分からないわけがないだろう。現に君は…こうして死に場所を求めて、こんなところまで来た。無意識にこの地に向かった、なんて都合の良いことは言わせない」

美緒は黙っていた。董馬は言った。
「あのとき、有楽町で僕にちょっかいを出してきた日…あの日も、君は死のうと思っていた。でも一人では死にきれない。いや、死ぬのが寂しかった。だから君は…うん、誰でも良かった…自分の最期を見届けてくれそうな、人の良さそうな大人に傍に居て欲しかった」

董馬は、頬を滴る雨水を手の甲で振り払った。見下ろす視線の先には、二年前の赤星美緒が映し出されていた。
 

 

 

 

あの日、二年前の浅草で、美緒は董馬をホテルに誘った。
美緒の身体からは、死の匂いがうっそうと漂っていた。
董馬は、あッ! と気付いた。
この子は、今日、死のうとしている、と。

美緒は、あどけない色気を振りまいてきた。死を直感した董馬は、美緒に「死」を取り消すように働きかけようとした。そんな素振りを敏感に察知した美緒が、言った。
「私を抱いて。そうしたら私は家に帰ります。死にはしない」

むちゃくちゃな理屈だと思った。董馬は、ひょっとすると有名な美人局かもしれないと思った。しかし、美緒の佇まいからは、美人局のような素振りは一向に見えなかった。

美緒は言った。ベッドの上だった。
「私は、どうしようもない人間なんです。言い寄ってくる大人たちは皆、私のことをオモチャのように扱う…玩具なんです」

部屋中に敷き詰められた絨毯からは、踏みつぶされた煙草の匂いが漂った。それは男と女の性戯からにじみ出た淫蕩の匂いだった。
「でも、オジサン…あなたは違った。私を人として見てくれる。だからオジサンに駅で叱られたときに、私は泣いたんです。あれは嬉しかったんです。あぁ…やっと真っ当な大人が出て来てくれた、と…そう思いました」

「でも、死のうとしている…なぜだ」
董馬は聞いた。いつに間にか、美緒が董馬にすがりついていた。美緒の身体からは「少女」と「花」と…そして「死」の匂いがまとわりついていた。董馬は、頭がしびれてきた。

董馬は、美緒を抱いていた。
これで、少女の命が助かるなら、と。
馬鹿な真似をしてしまった、と気付いたのは後になってからだ。

 

 

口元に流れてきた雨粒を、董馬は舐め、そして飲み込んだ。雨は草の匂いがした。
「君は…」
董馬は言った。
「君は間違っている。死を…死を…自分を励ます道具に使ってはいけない」

 

(第77話へ続く)

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2014年2月 1日 (土)

第75話:【美緒と董馬】~その15

★第74話はコチラ

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デニーズを出発してから降り始めた雨は、丘陵を切り開いて造成された広大な霊園に董馬が到着したときに、本降りになっていた。

雨粒は大きく、そして冷たかった。作為的に植樹された桜や銀杏の木々に生えていたみずみずしい青葉が、雨粒と絡まり次々と落葉していた。降雨とともに富士の峰から湧き出た霞(もや)が霊園を白く濁らせていた。

董馬は靄の中を走った。傘は持っていなかったので、董馬の身体はすぐにびしょ濡れになった。着ているシャツが水分を吸収して重く、絡みつくように董馬の肉体に張り付いた。

雨の中に、美緒は居た。美緒も例外なく濡れそぼっていた。
美緒が居た場所 ――― そこは、董馬の妻がいずれ納骨される墓碑だった。

「おい!」
董馬は美緒に向かって叫んだ。その声に反応して、墓前に立ち尽くしてた美緒が、ゆっくりと董馬の方を振り向いた。二年ぶりに再会した美緒の姿を見て、董馬は驚いた。美緒はひどく痩せて、そして憔悴しきっているように思えた。頬がこけ、二年前に会ったとき以上に、身体の線が細く感じられた。

美緒は、董馬の存在に気付いているようだったが、何も言葉を発しなかった。
董馬は、くたびれた灰色の地面に溜まった雨水を蹴りながら、ゆっくりと美緒に近付いた。董馬が進むたびに、水溜まりに映っていた樹木の影が歪んだ。
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美緒は、白が基調の長いカットソーを着ていたが、すでに大量の雨水を吸い込んでいて透明感を増し、肌着で身につけているであろうキャミソールの黒色が浮き上がっていた。董馬は近付いてみて、美緒の身体が正常ではないことに、すぐに気付いた。

美緒の身体は、二年前に出会ったときと比べて、病的なほどに細くなっていた。それは董馬の錯覚でもなく、また記憶というものが二年間のブランクを経ていたとしても、揺るぎない事実であると思った。

元々、細く、華奢な身体つきをしていたはずだが、今はもう身体の横の厚みが半分にカットされたように思えるほどだった。顔や首、肩の線は一回りも、二回りも小さく萎んでいた。そして女性らしさを振りまいていた甘美な腰つきも、今の美緒にはなかった。濃紺のショートパンツから伸びた脚は、二年前の躍動するような肉付きはなく、枯れ草のように細く、しなびていた。

「先生…」
美緒は言った。くちびるは小刻みに震えている。濡れた黒髪が蒼白の顔面に彫刻のように張り付いていた。毛先から、玉のような雫がぽたぽたと落下している。

董馬は、黙って美緒を見つめた。視線の向こう、美緒の背後に妻の墓がある。妻は今、董馬の車の後部座席に座している。灰となって。

雨はやまない。靄が上空を覆い始めた。
董馬は言った。
「赤星美緒」

「はい…」
美緒は答えた。

「君は、病に冒されている」

美緒は無反応だった。気にせず董馬は言った。
「君は、病気だ」

しばらくの沈黙のあと、美緒が「はい」と力なく答えた。そしてすぐに「でも」と、董馬は言葉を繋いだ。
「その病気が、いったい何なのか、それは僕には分からない。僕は医者じゃないから。でも君の身体が正常でないことくらい、医学に素人な僕だって分かる」

「先生…私は今日、死のうと思っていたんです」
「あぁ」董馬はうなずいた。

知っている。
そのくらい知っている。
似ているから。似ていたから。
僕を呼ぶ、その声が似ていたから。

董馬は、拳を握りしめた。奥歯を噛みしめる。
すると突然、美緒が泣き出した。嗚咽が雨音に混ざった。

「でも…やっぱり…やっぱり死ねないんです。ここに来れば…この場所に来れば…誰かが『死』を敬っている…私を慰めてくれるかもしれない…この場所に来れば、死ねると思ったのに…死ねないんです」

董馬は何も言わずに、美緒を見つめていた。美緒が両手で、窪地のような腹部を押さえた。

「先生…私、妊娠してたんです。この前、別れたばかりの彼氏の子です」

董馬は、美緒から目を背け、妻の墓標を見つめた。墓標から声が聞こえることはなかった。


(第76話へ続く)

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2014年1月28日 (火)

第74話:【美緒と董馬】~その14

第73話はコチラ

フロントガラスの表面に虫が張り付いていた。名も知らない小さな羽虫だった。ワイパーの先端が通過するであろう軌道上に、その虫は居た。ワイパーがきれいに拭き取った箇所と、そうでない箇所が、ガラスの上ではくっきりと分かれている。虫は、拭いきれなかった土汚れと共同生活をするようにガラスの上に付着していた。

董馬は、その虫を手で摘み放り投げるか、いっそのことワイパーを起動させて虫を蹴散らすか、その処分方法を考えた。どうせ名も知らぬ小さな虫だ。何万匹、何十万匹、いや何億匹生存しているかもしれない、大宇宙に散らばる星屑のような虫だ。いっそのこと殺してしまえばいい。車内からティッシュペーパーを数枚抜き取り、そのティッシュでおもむろに虫を掴み、そのまま握りつぶしてしまえばいい。居てもいなくても分からない存在なら、居ない方がシンプルなのだから。

後頭部に湿気を帯びた暑気の光線を浴びながら、後部座席のドアを開けた。蒸された車内の空気が董馬の顔面にぶつかる。董馬はやぶにらみでさまよわせた視線の先に、ティッシュペーパーの箱を見つけた。数枚を抜き取ろうと手を伸ばした。箱の先に骨壺があった。

董馬の脳裡に妻の姿が思い浮かんだ。妻は、虫が嫌いだった。家の中に小さな蜘蛛を発見しただけで、半狂乱になってわめいて、火事場に居合わせたのではないかというほどに取り乱した。そんな妻をなだめるのが董馬の役目だった。

虫は嫌いなくせに、虫が死ぬのが見たくないという妻は、柱の陰に隠れたまま、董馬に蜘蛛を早く家から屋外に追い出すよう指示をした。董馬は、そんな妻の挙動がおかしくて、笑いながらティッシュペーパーで蜘蛛をくるみ、そっと掴むと、殺さぬよう慎重に玄関まで運ぶと、バイバイと言いながら、蜘蛛を逃がした。蜘蛛は、雪原のように真っ白な世界から、塵と埃にまみれた外界へと、その居場所を移した。董馬は、蜘蛛に、よかったなぁウチの奥さんに見つかって、と聞こえぬ声をかけ見送った。

震動が伝わらぬよう後部座席のドアをゆっくりと閉めた。董馬は、フロントガラスに張り付いている虫の上に、静かにティッシュペーパーをかけた。そして虫を圧死させないように細心の注意を払いながら、ティッシュペーパーごと虫をつまみ上げると、腰をかがめ、地面の上にティッシュペーパーを開いた。開くと虫が姿を現した。虫は、音を立てるでもなく、宙に浮き上がると、やがていずこへ飛び去り、視界から消えた。

董馬は、運転席に座ると手持ち無沙汰になったティッシュペーパーを丸めて、ゴミ箱に捨てた。エンジンをかける。車を発進させた。
無意識のうちにワイパーを動かしていた。ワイパーはきれいな放物線を描いて、フロントガラスに半円の人為的視界を作り出した。もう虫が止まっていた痕跡は残っていなかった。

董馬は電話をかけた。すぐに相手が出た。
『もしもし? 先生何やってるんですか?』
「さえちゃん、ごめん。ちょっと用事ができたんで、店には戻らない」
『はぁ? 何かあったの? てか今どこ?』
「ちょうど駐車場を出たところ。ごめん、僕の荷物置いていると思うけど、それを預かっておいて欲しいんだ。今度会うときに持って来てもらえればいいから」
『え? え?』
電話越しに、沙絵が動揺している様子がつたわる。荷物と言っても、史佳に勉強を教えるために持参した筆記用具を入れた筆箱と、参考書が数冊しかない。そんなに重荷にはならないだろう、と董馬は算段した。財布や免許証はズボンのポケットに入れたままだった。

『何? トラブル? 誰か不幸があったとか?』
沙絵の声がうわずっている。自然と大声になっているのに気付かないのか、第一声よりも格段に声量が膨らんでいた。
「…と、とにかく!」
董馬は言った。沙絵が黙る。

「用事が済んだら、連絡するから。あと史佳ちゃんに申し訳ないって謝っておいて。じゃあ…」
そう言って、董馬は電話を切った。額に汗が浮かんでいる。その汗を拭った。車はゆるやかな上り坂になっている国道を進んでいる。

信号が赤になった。停車してすぐに電話をかけた。すぐに繋がる。
『先生…』
美緒の声だった。
「今、そっちに向かっている」
『来てくれるんですね…嬉しい』
美緒の声は、少しだけ毛色を帯びていた。董馬は言った。
死ぬなよ

フロントガラスに雨粒がぽつりと落下した。

 

「落ち着け! 早まるんじゃない!」

7月初旬。御殿場市。昼過ぎから雨模様。行き先、霊園。待ち人、赤星美緒

 

(第75話へ続く)

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2014年1月23日 (木)

第73話:【美緒と董馬】~その13

★第72話はコチラ

「来て…るのか…?」
それが第一声だった。董馬は美緒と二年ぶりに向き合った。

董馬は携帯電話を耳にあてたまま腕時計を覗き込んだ。時刻はちょうど正午を過ぎた頃だった。デニーズの入口で電話をしていると、入店してくる他の客の邪魔になった。 「すいません」と言いながら、申し訳なさそうに壁際に寄った。入店する客たちは董馬のことを鼻にもかけていない様子だったが、董馬は深々と頭を下げてしまう。頭をあげた途端に、董馬は自分が萎縮していると気付いた。そんな心情に察しがついたのか、美緒が耳元でクスリと笑った。

「先生、謝ったんだね。ふふ…面白い」
か細く、弱々しい声。言葉の韻を踏むように、ゆっくりと絡みついてくるようなしゃべり方。これが赤星美緒だった。董馬は、美緒のイメージが二年前と変わっていないことに軽い衝撃を受けた。

扉にはめられたガラスを透かして、董馬は店内の様子をうかがった。ガラスに外の景色が反射して視界をぼやけさせた。しかし、かろうじて沙絵や史佳が座っているソファー席が確認できた。ふたりとも大人しくソファーに座っているようだった。

董馬は、デニーズの入口から、横に逸れ、バリアフリー用の通路に歩を進めた。日差しはそれほど強くなく、代わりに吸収しきれぬくらいの生ぬるい風が屋外に出た董馬の身体を包み込んだ。

「先生。柊木先生。やっと話せたね」
「残念ながら、僕はもう先生じゃないんだ」
「え…」
「もう辞めたんだ。塾は。だから先生じゃない」
吐き捨てるように董馬が言った。数秒間の沈黙があった。
「私…のせい?」
「答えるつもりはない」
董馬は冷たく突き放した。
脳裡に、二年前の赤星美緒の姿、そして務めていた塾に解雇を言い渡されたときの公開が浮かんだ。そのどれもが鮮明に思い出せ、どちらもが董馬の心に暗雲たる感情を思い起こさせた。

「先生に会いたい」
美緒が言った。媚びるでもなく甘えるでもなく、対等な立場からの発言だった。
「だめだ」
「もう近くにいるんだもの」
董馬は、念のために周囲を見回す。もちろん美緒らしき姿は発見できない。
「近くにいてもだめだ。僕は君に会いたいとは思わない。残念だ」
「はっきり言うんだね」
美緒が苦笑するのが分かった。

「私が先生と呼んだのは、ちゃんと理由を知っているからです」
「どういう意味だ?」
「柊木先生、今はご本を書かれてますよね。いわゆる『ペンネーム』で。そして日々の出来事がブログにアップされている。ですよね?」

董馬は驚いた。どうして分かったのだろう、と思った。自分のペンネームと本人の一致は教えていない。それは出版に携わる編集者だけが知る事実だ。もちろん史佳も、そして沙絵も知らない。それが覆面作家としての生業だった。

「さぁ…知らない」
董馬はとぼけた。喉がひどく渇く。早く電話を切った方が良いのではないか、と董馬は思った。

「先生、人を好きになったことがありますか?」
「なに?」
突然の質問だった。董馬はたじろいた。

「好きになってしまった男が、身体を求めることしか興味を示さなくなった。男は私のことを『好きだから』と言う。それでまた身体を求められる…執拗に…毎日毎日。これは恋愛ですか?

美緒の放った「恋愛」という言葉が、妙に生々しく直接的に董馬の耳に残った。しかし、清冽とした響きはなく、そこか淫猥めいた響きでもあった。

「先生。私が今、御殿場のどこにいるか教えます」
美緒が言った。その声に梢の音が重なった。美緒は屋外にいる、と董馬は思った。

「先生の愛した人の住処となる場所です。今、着いたところです」

董馬は絶句した。まさか。

「ここに、いつか 愛 す る 奥 さ ん が入るんですね。きれいなお墓ですね…先生」

 

(第74話はコチラ)

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2014年1月19日 (日)

第72話:【美緒と董馬】~その12

★第71話はコチラ

★★第72話の伏線となる(第58話) ※要チェック

7月上旬。静岡県御殿場市。午前11時。

その日、柊木董馬(ひいらぎとうま)は15歳の女子高生、綾野史佳(あやのふみか)に勉強を教えるという約束を果たすべく、デニーズの店内に居た。
なかなか勉強に手を付けないで、ふざけてばかりいる史佳に業を煮やしていた、ちょうどその頃、夜勤を終えたばかりの睦月沙絵(むつきさえ)が、来店し、そして董馬たちに合流をした。

史佳と沙絵は、ケーキを注文した。注文したケーキがテーブルに届き、二人して、きゃ! と歓声を上げ、携帯電話で写真を撮り、お互いのケーキの映り具合を見せ合いっこして、ケタケタと笑った。
ふたりが美味しそうにケーキを頬張る様子を、董馬は撮影した。ふたりともピースサインでポーズを決めた。
「後で送ってあげるよ」と董馬が言ったとき、董馬の携帯電話にメールが届いた。

誰だろう? と思い、受信画面を開いた。

『たすけてください』

メールの送り主は、赤星美緒だった。

董馬は、携帯電話を急いでテーブルの下に隠した。別に隠す必要もないはずだが、無意識のうちに沙絵や史佳にメールが届いていることを気付かれたくないと思ってしまった。沙絵と史佳は、そんな董馬の動揺ぶりにまったく気付いていない様子だった。お互いに携帯電話を見せ合いながら、あらゆる角度からのケーキ撮影に精を出していた。

董馬は、一旦メールの受信画面を閉じた。途端に、直前まで起動させていたカメラ機能の画面が現れた。董馬は、リターンボタンを連打し、カメラ画面を閉じた。すると、また携帯電話が手のひらの中で震えた。メールの受信を知らせるランプが点灯した。

送り主は、またも美緒だった。メール本文を見て、董馬は思わず、あッ! と声をあげた。

『今から電話します』

「ん? 先生どうしたの?」
ケーキを撮影していた沙絵が、声をかけた。董馬は「いや」と口ごもる。
次の瞬間、董馬の手のひらから軽快なメロディが流れた。着信を知らせるメロディだった。
「先生、電話」
沙絵が言った。
「分かってる」
「出ないの?」
「出ない」
そう言って、董馬は通話終了のボタンを押し、電話を切った。手のひらに静寂が訪れる。

「柊木先生、今の目立ったよ」
史佳が、ニヤニヤと笑いながら言った。
「すまん」
董馬は、こうべを垂れた。途端に恥ずかしくて身体が熱くなる。
それもそのはずだった。董馬の携帯電話からあふれた着信メロディは、デニーズの店内にけたたましく鳴り響いていた。董馬は着信音量を最大にしていたことを忘れていた。あまりにも目立った音量だったのか、周囲のテーブル席に座っていた客たちもが、しばし董馬の席を注目していた。

董馬が、携帯電話の設定を変更しようと、ボタン操作をしている最中に、ふたたび同じ音量で携帯電話が鳴った。着信を知らせている。董馬は、瞬時に電話を切る。
「なに? 出ればいいのに」
沙絵が言った。
「今はいい。あとで出る」
「何度もかかってくるんだから、大事な用かもしれないですよ?」
「たいしたことない」
董馬は平静を装って答えた。
「誰から?」
「へ?」
「誰から電話ですか?」
史佳が聞いてきた。手にはフォークを握っている。
「いや、別に大事な用でもないから。うん」
董馬は、自嘲気味に笑った。

「あーやーしーい」
史佳が、いたずらっぽい笑みを浮かべる。史佳の顔に涙袋がプクリと出現する。
「誰から? ねぇ! 誰から?」
史佳が、身を乗り出してくる。

「分かった! コレでしょ!」
史佳が董馬の眼前に小指をピーンと一本突き立てた。
「はぁ?」
董馬はあっけにとられる。
「オンナでしょ? オ、ン、ナ!」
史佳が、我がことを得たり、とでも言いたげな満面の笑みを見せた。董馬は内心動揺した。外れではないからだ。

「うわー! サイアク! ねぇ! 沙絵先輩!」
史佳が、眉をひそめて隣に座る沙絵に同意をうながす。沙絵は微笑を浮かべたまま何も言わずに董馬を見つめていた。
「というか、先生っ!」
史佳はテーブルを叩きそうな勢いで、董馬に言った。
「アタシとか沙絵先輩とか、チョー可愛い女の子が目の前に二人も居るのに、別のオンナから電話がかかってくるなんて、ジョーシキなさ過ぎます!」
「何だそれ」
董馬は全身から力が抜けた。ヘナヘナとその場に崩れ落ちそうになる。
「史佳ちゃん、もう…決めつけちゃってるし」
そう言って、沙絵は手を叩いて大笑いした。面白くてしょうがないといった感じだ。
史佳は、ムスッとした表情をした。
「もうっ! アタシ本気で言ってるんだからねっ! じょしこーせーナメなんなよぉー
そう言って、史佳は片手に持ったフォークを順手で持つと、槍のように構えて、シュシュシュ! と空を突く真似をした。
「別にナメてないよ」
董馬が言うと、史佳は口を尖らせて、なぜかそのままケーキの上にフォークを突き刺し、器用に切り分けて、ひとくち頬張った。
「おいしー!」
史佳は満足そうに笑みを浮かべた。董馬は笑った。沙絵も笑っていた。

そして三度目の着信が鳴った。
史佳と沙絵は、いっぺんに董馬を見つめた。董馬は歌声を撒き散らす携帯電話を手にしたままソファーから立ち上がった。
「ちょっと電話してくる」
董馬が去り際に言い放つと、沙絵は「いってらー」と言葉を投げかけ軽く手を振った。

董馬は店外に出た。そして通話ボタンを押した。
「もしもし」

『先生』
美緒の声だった。

「用がないなら切るよ」
『私は、用があるんです』
「僕にはない」
『助けて下さい』

そして次に言った美緒の言葉は、董馬の意識を二年前に逆戻りさせた。

私…今、御殿場に来てます。先生に会いに…

空は鉛色に澱み、霞のような湿気が視界を鈍らせた。雨が降るかもしれない、と董馬は思った。

 

(第73話へ続く)

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2014年1月14日 (火)

第71話:【美緒と董馬】~その11

★第70話はコチラ

★★第71話の伏線となる回(第50話)※要チェック

5月3日。神宮球場外苑。大型駐車場。朝9時。快晴。

董馬は、車の後部座席にリュックサックを置いた。中には骨壺が入っている。骨壺に向かって、なにかひと言かけようかと思ったが、やめた。慣れ親しんだ肩の重みがなくなり、なぜか心までもが軽くなった気がしていた。

電話が鳴った。スボンのポケットの中で、バイブレーションが細かな振動を骨盤に伝えている。取り出し、画面を見た。知らない番号が表示されていた。電話帳に登録していないのだろう、090ではじまる携帯電話の番号のみが横一線に並んでいる。

「はい。もしもし?」
「先生、私です」
「え…」
「私です。赤星美緒です」

董馬は凍り付いた。懐かしい声だった。董馬が塾講師を辞める原因になった、過去をすべて背負っている罪かぶりの声だった。

「ん…あぁ」
董馬は、返事とも言い切れない、くぐもった声を出した。手汗が滲む。濡れた手のひらは電話越しに存在する少女の息吹をくまなく浴びたように熱く火照っていた。

なぜ? と董馬は思った。
なぜ、今、このタイミングで、こ の 電 話 な ん だ。

董馬は足を止めた。後ろ髪を引かれるように車の後部座席を見る。たった今、車中に置いたばかりのリュックサックがあった。誰も乗ってない、そんな当たり前のことに董馬は安堵する。
携帯電話を耳にあてたまま首を伸ばし、球場前の広場に居るであろう沙絵と史佳の様子をうかがう。二人の姿はここからは見えない。董馬は、今、こうして電話をしている姿を誰にも見られていないことを確認できて、ふたたび安堵する。

「先生…」
盛りのついた小猿のような声だった。乳離れしていないのかと思わせるほどのねっとりと、湿り気のある声だった。董馬は、耳に温もりを感じる。董馬は雨を思い出す。あの日も雨だった。

無言の董馬の反応を無視し、美緒は言った。
「ひさしぶりだね」

董馬は返事をしなかった。この声を聞くのは二年ぶりだった。動悸が早まる。
どうして、電話してきたんだ! そう聞こうとしたが声が出なかった。そんな董馬の戸惑いを察知したのか、美緒は、

「ごめんね先生。急に電話しちゃって。私の番号、変わってたでしょう? 変えたんだ番号」
と言った。

「どうして」
やっと声が出た。知らぬうちに額にうっすらと汗をかいていた。董馬は周囲に目を配らせた。まさか自分が今、神宮球場にいるところを美緒に見つかって、それで思わせぶりに電話をしてきているのかもしれない、と思った。しかし、周囲には整然と並べられた車や、数名の歩行者しか目に入らなかった。

「どうして、電話してきたのか…そう聞いてるんでしょう?」
「あぁ」
董馬は短く答えた。

「先生は、今どこにいるの?」
「それを言う必要はない」
「いじわる」
「用がないなら切るよ。今ちょっと忙しいんだ」
董馬は、携帯電話を耳から離そうとした。
 

「待って」
美緒が止める。
「ねぇ、先生。私ね、今どこにいると思う?」

董馬は考えを巡らせた。
あの日、あの赤星美緒と遭遇した罪深い日。あのとき美緒は高校生だった。
董馬の脳裡に、美緒の透明感あふれる制服姿が甦る。

 

 

その制服を引き剥がした! 
 

他人の体臭が残る陰気くさいベッドの上で! 
 

「乱暴にして」と彼女は言った!

 

 

董馬の回答を待たずに美緒が言う。
「私ね、さっきまで大学にいたの。そう…私ね、大学生になったの。でも現役合格じゃないから。うん…一浪したの。だから今は一年生」

董馬は沈みゆく思考の中で、美緒の年齢が二十歳であることを計算し導き出した。

「今はね、バイトしてるコンビニのね、控え室にいるの。それでね、それでね…私、もうすごい悲しくて…なんかね泣けちゃって。沙雪がね…あのね…信二とね…」

美緒の声が嗚咽混じりになった。鼻を懸命にすすり上げる音が董馬の耳元に響く。

「もう切るよ」

董馬は、携帯電話を耳から離し、重力に導かれるように通話終了のボタンを押した。
ピッ という操作音を聞いて、董馬は深いため息をつき、その場にしゃがみ込んだ。暑かった。そのまましばらくは立ち上がれなかった。

(第72話はコチラ)

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