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2014年5月17日 (土)

第82話:【史佳と沙絵】~その2

★第81話はコチラ

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「もう学校終わったの? あれ? てかもう夏休みだよね?」
董馬は、額を流れる汗を拭いながら史佳に尋ねてきた。史佳は「うん。まぁ。はい」と幾分どもりながら答えた。
「ひょっとして今から学校に行くところだったとか?」
「ちがいます」史佳は言いながら首を横に振った。
「柊木先生は、こんなところで何してるんですか?」
「ぼく?」と言った董馬は、地面に滴り落ちるほどの大汗をかいている。額は雨に打たれたようにびしょ濡れだった。もちろん雨は降っていない。史佳の目の前のアスファルトは、陽光をたっぷりと浴びて、ゆらゆらと陽炎をくゆらせている。向こうの通りの歩道の縁石や、ガードレールが歪んで見える。
「走ってるんだよ」
「走ってる?」史佳は首をかしげた。
「そう」董馬はうなずく。「ランニング中さ。御殿場をスタートして沼津をゴールにしているんだ」
「え!」
史佳は、驚きのあまり後ろに仰け反った。端から見たら、まるでイナバウアーだ。しかも、「え!」と発声したあとに、呆然としてしまい、しばらく口をポカンと開けたままだった。まるで喜劇の舞台を思わせる大げさな身体的表現だった。舞台上でやれば優秀なしぐさかもしれないが、日常で口をだらしなく開けている姿は、どうみてもアホッっぽい。
「それ…マジですか?」
史佳がおそるおそる尋ねると、董馬は、「え? マジだよ」と即答した。顔つきは至って真剣だった。
「ウッソ! だって…御殿場から沼津って…めちゃ遠くないですか? てか、遠いって!」
史佳が腹話術劇のラストシーンのように詰め寄ると、董馬は、
「そんなに遠くないよ。せいぜい30キロくらい」
と、ケロリとした、何でもないような平然とした表情で、そう言った。
「さ…さんじゅう…って遠いよっ!」
「そうかなぁ」董馬は頬をポリポリと掻きながら、史佳を見下ろしている。
 

30と聞いた途端に、史佳は中学三年のときに遠足の名目で走らされたマラソン大会のことを思い出した。一応、大会名は『強歩大会』という、別に歩いてもいいんだよ、ただし、ちゃんと規定時間までにゴールしてね、みたいなニュアンスだったと思うが、そのコースの全長が10キロだった。史佳は、行程のほとんどを歩いてゴールした。それでも、途中で何度か棄権しようと思ったくらいだ。10キロという距離は、史佳から見たら、走ったり、歩いたりするレベルの数値ではない、機械力を使うべきものだ、とインプットされていた。
だから、董馬が、さも常識的な物言いで「30キロ」と言い放ったことに、驚愕を覚え、ついでに、ちょっとした劣等感が芽生えたのだ。

「まぁ、帰りは電車に乗って帰るんだけどね」
「あ、そうなんだ!」
「そう」と言って、董馬は苦笑いをした。
「さすがに往復で60キロを走るのは、僕でも無理だから、ほら、着替えを持って来てるから、駅で着替えて、それから電車に乗って、御殿場まで帰るんだ」
董馬は、背負っていたリュックサックを史佳に見えるように、くるりと上半身をひねってみせた。
史佳は、正直ホッとしていた。もし、往路だけでなく、復路までも董馬が走るとしたら、もはやそこらへんの一般人ではなく、走ることが日常になっているプロみたいなものだ。あまり自分にできないことばかりを、飄々とこなしている場面に遭遇したら、とてもじゃないが、自尊心が傷付いて嫌になる。

そんな史佳の心中を、まったく意に介していない様子の董馬は、またもや新種の生命体を発見をした生物学者のようなイントネーションで、
「あれ?」
と言った。今度は、董馬が首をかしげていた。
「何ですか?」
「なんか、史佳ちゃん、キツそうだね。体調でも悪いの?」
董馬が、中腰になって史佳の顔を覗き込んだ。少し距離が縮まる。史佳と董馬の身長差は20センチ近くあった。

史佳は、「重くて」と言って信号を見た。歩行者用の信号機は青に変わっていた。渡るなら今だ、と思ったが、相変わらず片腕の自由を奪っている、この膨れあがった通学鞄が歩行することを躊躇させる。
「それ重そうだね」
と言って、董馬は史佳が地面に落とすか落とさないか、スレスレのところで吊り下げている鞄を指さした。董馬の指摘に、史佳は「ちょっとだけ」と言い、へへへと苦笑いした。チョー恥ずかしい。史佳は思う。
「持って帰るんでしょ? それ」
董馬の問いかけに、史佳は「えぇと…」と言葉を濁す。まさか今から捨てようと思っていたなんて言えない。いや、言ってもいいけど、なんか悔しい。負けたみたいで。何だよ! そんな捨て犬を見るような目でアタシを見るな! 子ども扱いしたら怒るからな!

史佳が、口の中で言葉を噛み砕きながら、なにかを咀嚼するようにモグモグとしていた。すると董馬が、史佳の手から通学鞄を、サッと抵抗する間もなく奪い取った。史佳は、あッ! と叫んだ。
「僕が持つよ」董馬が言う。
「え…い、いいですよ!」
「代わりに史佳ちゃんは、これを持って」
そう言って、董馬は自らの背中からリュックサックを滑り落として、がら空きになった史佳の指先に握らせた。
「交換しよう。そっちの方がちょっと軽い」
「え…」
たしかに、軽かった。でも…と史佳は思う。そんなことじゃなくて…
「これもトレーニングなんだ。だから僕が重い方を持つ。自分のためにね」
「自分の…ため」
「そう」董馬はうなずく。

史佳が戸惑っていると、
董馬が「よし! 商談成立! じゃあ行こう!」と言って、史佳の手を取った。

走れ! 史佳!

史佳は董馬に手を引かれながら、横断歩道を渡る。
通学鞄を持った董馬に、リュックサックを持った史佳。
史佳は、横断歩道上を駆け抜けながら、楽しい気持ちが込み上げてきていた。そして、もっと横断歩道が長ければいいのに、と思い、董馬の手を強く握った。

 

(第83話へ続く)

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