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2013年10月 6日 (日)

第60話:【史佳】~その20

★第59話はコチラ

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史佳が帰宅すると、ちょうど母親が出勤前の入念なメイクをしているところだった。史佳は、鏡台の前に座ってパフを顔面に連打している母親を一瞥し「ただいま」と言い、返事を待たずに脱衣所に向かった。その背中を追いかけるように母親の「おかえりー」という声が聞こえた。炭酸の抜けた生ぬるいコーラのような張りのない声だった。きっと鏡の中に向かって挨拶をしたんだろう、史佳はいつものことだなぁと思う。

脱衣所で片足立ちをして靴下を脱ぎ、大口を開けているドラム型洗濯機の中に放り込んだ。ワンピース頭から抜き取ると、ふわと香りが舞った。自分の身体から放たれた微香だった。意外といい匂いを放っているんじゃないかと、ひそかな自慢。

ワンピースは別に洗った方がいいんじゃないか、とも考えたが、どうせ洗濯作業をするのは自分なので、また後で考えればいいやと思った。今はとにかく身軽になりたかった。
史佳の身体は、キャミソールと下着を纏っただけになった。史佳は洗面台に備え付けられた鏡の前に立った。鏡に映る自分を見る。正面に存在する少女は、私が笑えば同じように笑い、困り顔をすれば困り顔をする。髪をくしゃくしゃとかき混ぜれば、かき混ぜる。同じだった。
肌は白かった。くびれもある。足はそんなに太くない。まだ身長は伸びるのだろうか、史佳は爪先立ちになり背伸びをしてみる。同時に鏡に映った少女も背伸びをする。キャミソールの裾を掴んで一気に剥ぎ取った。上半身はブラだけになった。みぞおちの辺りから指先を上へ這わせた。いくつかのくぼみがあった。あばら骨。これは未完成の身体なのか、それともこれがアタシなのか。

「何してるの?」
急に声をかけられて、史佳はビクッと身体を震わせた。振り向くと母親が立っていた。
「何でもない」
「ママ、髪の毛セットしないといけないから」
母親の髪は濡れていた。
「そう」
史佳は、何か言いたげな母親の脇をすり抜け、ほぼ裸体のままキッチンを通り、自室のドアを開けた。途端にまぶしい陽光が射し込んできた。部屋の中は西日であふれていた。塵とも埃とも区別がつかぬ粒子がきらきらと光って、ぬめりのある暑気に包まれていた。

史佳は、窓に近付いた。マンションの四階から眺望できる景色が眼前に拡がっている。黒みを帯びた富士山が微かに見えた。史佳はカーテンを閉めて、そのままベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。枕の柔らかみに鼻先が触れる。よい匂いがした。これもアタシの匂いだ。

「ふみちゃん、夜ごはん置いてるから」
部屋の外から聞こえてくる母親の声に、史佳はうん、と答える。母親の気配は近くに感じない。
「明日、パパ帰って来るってさ」
そう、と史佳。

「ふみちゃん」
「ん」
「明日、行くよね?」
史佳は答えない。
「ママも今夜は早く帰って来るつもりだから。明日は午前中には出発するわよ」
母親の勤めるスナックの閉店時間は、午前1時。でも最近は、ずっと朝帰りに近い時間で帰宅してくることが多くなっていた。

外にオトコでもできたのだろうか、まぁどっちでもいい、勝手にすれば。オトナたち。
史佳は唇を噛みしめる。空腹を感じた。沙絵先輩にメールを送らないといけない。デニーズから家まで送ってくれたお礼を。

「久しぶりに親子四人が揃うわね…」
史佳は無視をした。
母親の「行ってきます」が聞こえたと同時に、玄関のドアがガチャリと閉まる音が響いた。続いて静寂が訪れた。

史佳は、仰向けに寝返りをうち、目を閉じた。暗闇の中に浮かぶのは、の顔だった。納棺された兄はたくさんの花に包まれていた。赤い花が兄の顔を縁取っていた。
兄が眠っている霊園に行くことだけが、今の綾野家唯一のつながりだった。

兄の顔が歪んだ。史佳は身体を丸めた。何かに包んでもらいたかった。
壊すものはもう何も残っていなかった。
繋がっているものは何も残っていなかった。
家族も壊れて、自分も壊れそうだった。

アタシに壊せるものは、もう何も残っていない。
アタシには、もう何も残っていない。

泥濘した感情の沼を史佳は懸命に泳いだ。沈殿する身体を浮上させるために手足をばたつかせた。しかし、もがけばもがくほど沼に引きずり込まれてゆく。沼のほとりに花が咲いていた。赤い花だった。

その花の隙間から、手が伸びてきた。大きな手だった。男の手だった。史佳は伸びてきた手を握った。強い力で手を引かれた。その手によって史佳の身体は沼から引き上げられた。
沼から上がっても、史佳はその手を離さなかった。離したくなかった。この手しかない、と思った。アタシにはこの手しかないと思った。涙がこぼれた。握りしめた手の上に落涙した。

もう大丈夫だよ

優しい声だった。寂しい声だった。
「柊木先生…」
董馬は微笑み、そっと史佳を抱きしめた。

 

 

綾野史佳。15歳。はじめてのだった。

 

(第61話へ続く)

 

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